モンゴル帝国の分裂(四ハン国)
チンギス・ハンの死後、帝国は後継者たちによって継承されましたが、広大すぎる版図は維持困難で、やがて4つの大きな国家(四ハン国)に分裂しました。
帝国の継承
- 1227年:チンギス・ハン死去→第3子オゴタイが後継者(大ハン)に
- オゴタイの時代に金朝を滅亡(1234年)、ヨーロッパ遠征(バトゥのポーランド・ハンガリー侵攻1241年)
- 1259年頃から大ハン継承をめぐる内紛が拡大→事実上の分裂へ
四ハン国
- 元朝(大元ウルス):フビライが中国・モンゴル高原・東アジアを支配。首都大都(北京)
- チャガタイ・ハン国:中央アジア(現在のウズベキスタン・カザフスタン)。後にイスラーム化
- イル・ハン国:イラン・イラク・アナトリア。フラグが建国、1258年にバグダードを征服してアッバース朝を滅亡させた
- キプチャク・ハン国(金帳汗国):南ロシア・カザフ草原。バトゥが建国、イスラーム化しロシア諸侯を支配
📘 例題①
1258年にバグダードを征服してアッバース朝を滅亡させたモンゴルの指導者と、その所属ハン国を答えなさい。
解答:フラグ(フレグ)が率いるイル・ハン国。1258年の征服でアッバース朝の最後のカリフが処刑され、500年以上続いたカリフ制が一時断絶した。(その後エジプトのマムルーク朝が名目上のカリフを擁立)
1258年にバグダードを征服してアッバース朝を滅亡させたモンゴルの指導者と、その所属ハン国を答えなさい。
解答:フラグ(フレグ)が率いるイル・ハン国。1258年の征服でアッバース朝の最後のカリフが処刑され、500年以上続いたカリフ制が一時断絶した。(その後エジプトのマムルーク朝が名目上のカリフを擁立)
💡 ポイント
- 四ハン国:元朝・チャガタイ・イル・キプチャク
- 1258年イル・ハン国がバグダード征服→アッバース朝滅亡
- 各ハン国は次第にイスラーム化・現地文化に同化
- キプチャク・ハン国の支配がロシアの「タタールのくびき」
練習問題
- 四ハン国の名前をすべて挙げ、それぞれが支配した地域を答えなさい。
- 1258年のバグダード征服の歴史的意味を答えなさい。
- 「タタールのくびき」とは何か説明しなさい。
解答・解説
- 解答:元朝(東アジア・モンゴル高原)、チャガタイ・ハン国(中央アジア)、イル・ハン国(イラン・イラク)、キプチャク・ハン国(南ロシア・カザフ草原)
解説:それぞれチンギス・ハンの子孫が支配した。 - 解答:フラグ率いるイル・ハン国がバグダードを征服し、アッバース朝の最後のカリフを処刑。500年以上続いたカリフ制が断絶し、バグダードの学術・文化施設も大きな打撃を受けた。
解説:イスラーム文明にとって「文明の破壊」と言われる大事件。 - 解答:13〜15世紀にキプチャク・ハン国(モンゴル系)がロシア諸侯国を支配下に置き、貢納を課した時代をロシア史では「タタールのくびき」と呼ぶ。
解説:ロシアの政治・社会発展を遅らせた要因のひとつとされる(学説により評価は様々)。