ティムール帝国と中央アジアの文化
14世紀後半、モンゴルの後継者を自称するティムールが中央アジアに強大な帝国を建てました。サマルカンドを都に、破壊と文化復興を同時に進めた独特の王朝です。
ティムール(1336〜1405)
- チャガタイ・ハン国の将軍出身。モンゴル帝国の後継者を自称しつつイスラームを信奉
- 1370年:中央アジアを統一し、サマルカンドを首都に設定
- 西アジア・インド北部・ロシア南部まで遠征(インド侵攻でデリー略奪1398年)
- 1402年:アンカラの戦いでオスマン帝国のスルタン・バヤジット1世を捕虜に
- 征服地では虐殺・破壊を行う一方、職人・芸術家をサマルカンドに連行
サマルカンドの文化的繁栄
- ティムール朝のもとでペルシア語文化とイスラーム学術が繁栄
- レギスタン広場:3つの荘厳なマドラサが並ぶ世界的建築群
- 天文学:孫のウルグ・ベクが天文台を建設し精密な星表を作成
- 細密画(ミニアチュール)・書道・陶器などの芸術が発展
📘 例題①
ティムール帝国の文化的遺産として現在も残るサマルカンドの建築物群を答え、その特徴を述べなさい。
解答:レギスタン広場(ウズベキスタン・サマルカンド)。3つの大規模マドラサ(ウルグ・ベク・マドラサ、シェルドル・マドラサ、ティラカリ・マドラサ)がコの字形に並んだ広場で、イスラーム建築の傑作とされる。青と金のタイルで覆われたドームとモザイク文様が特徴。2001年にUNESCO世界遺産に登録されたサマルカンド旧市街の中心。
ティムール帝国の文化的遺産として現在も残るサマルカンドの建築物群を答え、その特徴を述べなさい。
解答:レギスタン広場(ウズベキスタン・サマルカンド)。3つの大規模マドラサ(ウルグ・ベク・マドラサ、シェルドル・マドラサ、ティラカリ・マドラサ)がコの字形に並んだ広場で、イスラーム建築の傑作とされる。青と金のタイルで覆われたドームとモザイク文様が特徴。2001年にUNESCO世界遺産に登録されたサマルカンド旧市街の中心。
💡 ポイント
- ティムール:モンゴルの後継自称+イスラーム信奉の矛盾する側面
- 1402年アンカラの戦いでオスマン帝国を撃破
- サマルカンドのレギスタン広場が文化的頂点を象徴
- 孫ウルグ・ベクが天文学で活躍
練習問題
- ティムールが首都に定めた中央アジアの都市を答えなさい。
- 1402年のアンカラの戦いでティムールが破った相手と、その結果を答えなさい。
- ティムールの孫ウルグ・ベクの学術的業績を答えなさい。
解答・解説
- 解答:サマルカンド(現在のウズベキスタン)
解説:シルクロードの要衝で、古くからソグド人の商業都市として栄えた。 - 解答:オスマン帝国のスルタン・バヤジット1世を捕虜にした。これによりオスマン帝国は一時混乱し(空位時代)、コンスタンティノープル陥落が半世紀ほど遅れた。
解説:オスマン帝国の歴史において大きな挫折。 - 解答:サマルカンドに天文台を建設し、1,018個の恒星の精密な位置を記録した星表(「ウルグ・ベク星表」)を作成した。
解説:近代以前で最高精度の天文観測のひとつとされる。