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弥生時代の始まりと稲作の広がり

弥生時代の始まりと稲作の広がり

紀元前10世紀ごろ、北部九州に伝わった稲作は、約600年かけて本州・四国にも広がり、日本の社会を根本から変えました。弥生時代の幕開けを見ていきましょう。

基本知識

弥生時代は、紀元前10世紀ごろ〜紀元後3世紀ごろまでの約1,200年間の時代です。名称は1884年に東京都本郷弥生町(現・文京区)で発見された土器に由来します。
稲作は朝鮮半島経由で北部九州に伝わり、その後西日本から東日本へと広がりました。最古の水田跡は佐賀県の菜畑遺跡と福岡県の板付遺跡で、紀元前10世紀ごろのものとされます。
弥生時代の特徴は以下の通り:
・水田稲作の本格化
弥生土器(薄手・赤褐色・高温焼き)
金属器(青銅器・鉄器)の使用
・環濠集落・高床倉庫の出現
・小国の分立 → 統合へ

📘 弥生時代の主要遺跡
菜畑遺跡(佐賀) 日本最古の水田跡、前10世紀
板付遺跡(福岡) 環濠集落と水田跡、前10〜前4世紀
登呂遺跡(静岡) 水田と高床倉庫の良好な遺存
吉野ヶ里遺跡(佐賀) 大規模環濠集落、邪馬台国候補地
荒神谷遺跡(島根) 358本の銅剣が大量出土
本郷弥生町(東京) 1884年に弥生土器が発見された場所

深掘り (背景・影響)

稲作の伝来は、単に米を作るようになっただけでなく、日本社会の構造を根本から変えました。
定住の徹底: 水田は何世代も同じ場所で耕すため、土地への結びつきが強化された
共同体の形成: 水路の管理や田植え・収穫は共同作業が必要 → 「ムラ」が「ムラ社会」に発達
余剰生産: 米は長期保存可能 → 余剰の蓄積 → 富の集中
階級の発生: 富む者と貧しい者、指導者と従う者、男と女の役割分担
戦争の発生: 田・水・余剰米をめぐる争いが激化 → 武器の発達、環濠集落の出現
登呂遺跡(静岡県)は、戦時中に発見された弥生時代後期の代表的遺跡で、水田跡・高床倉庫・木製農具が良好な状態で発掘され、弥生時代の生活を具体的に知る貴重な手がかりとなっています。

💡 ポイント
  • 弥生時代 = 前10世紀〜後3世紀の約1,200年間
  • 「弥生」の名は1884年発見の東京・本郷弥生町から
  • 稲作は朝鮮半島経由で北部九州に伝来
  • 最古の水田: 菜畑(佐賀)・板付(福岡)= 前10世紀
  • 登呂遺跡(静岡)= 水田と高床倉庫の代表的遺跡
  • 稲作 → 定住強化・共同体・余剰・階級・戦争
  • 弥生土器 = 薄手・赤褐色・高温焼き・実用的

注意点 (混同しやすい)

① 「弥生」の名前は東京の地名「本郷弥生町」から。土器の特徴を表す言葉ではない。② 弥生時代の開始時期は研究で前倒しされている。教科書によって「前4世紀」と書くものと「前10世紀」とするものがあるので注意。③ 「縄文土器」と「弥生土器」の特徴を逆にしないこと。縄文=厚手・装飾的、弥生=薄手・実用的。④ 北海道は弥生文化が伝わらず続縄文文化、沖縄は貝塚文化と独自路線。⑤ 「米を作る」=即「裕福」ではない。初期の稲作は重労働で生産性も低かった。

練習

  1. 「弥生時代」の名前の由来を答えよ。
  2. 日本最古の水田跡が発見された遺跡を2つ答えよ。
  3. 稲作伝来が社会構造に与えた変化を3点述べよ。

このレッスンのQ&A

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