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室町幕府の安定と動揺

室町幕府の安定と動揺

足利義満で最盛期を迎えた室町幕府ですが、4代義持以降は次第に動揺していきます。6代足利義教のとき、強権政治と暗殺によって幕府は大きく揺らぎました。

基本知識

4代足利義持(義満の子)は、父の路線を見直し、明への朝貢を屈辱として日明貿易を一時中断しました(1411-1432)。義持の治世は比較的安定。
6代足利義教(よしのり)(義満の子)は、僧から還俗して将軍となった人物(くじ引き将軍とも)。専制政治を行い、有力守護を強圧したことで「万人恐怖」と称されました。
1428年、近江の馬借が蜂起したことをきっかけに、近畿一円で正長の土一揆(しょうちょうのつちいっき)が発生。借金の帳消し(徳政)を要求し、酒屋・土倉(高利貸し)を襲いました。これは日本史上初の本格的な民衆一揆として重要です。
1438-1439年、鎌倉公方足利持氏が幕府に反抗した永享の乱で、義教は持氏を滅ぼし、東国の混乱が始まります。
1441年、義教は守護赤松満祐に屋敷で謀殺されました(嘉吉(かきつ)の変)。将軍が家臣に殺されるという衝撃的な事件で、幕府の権威は大きく失墜します。直後、嘉吉の徳政一揆(1441年)も発生しました。

📘 室町中期の年表
1411年 4代義持、日明貿易を中断
1428年 正長の土一揆(初の本格的民衆一揆)
1432年 6代義教、日明貿易を再開
1438-1439年 永享の乱(鎌倉公方足利持氏滅亡)
1441年 嘉吉の変(赤松満祐が将軍義教を暗殺)

深掘り (背景・影響)

室町時代は一揆の時代とも呼ばれます。一揆とは「一つの目的のために結束する」という意味で、農民一揆だけでなく、武士の国一揆、宗教者・武士・農民の連合の一向一揆(浄土真宗本願寺派による)など、多様な形態がありました。
正長の土一揆では、奈良の柳生(やぎゅう)に「正長元年ヨリサキ者(は)、カンヘ(神戸)四カンカウ(四箇郷)ニヲヰメ(負目)アルヘカラス」(正長元年以前の借金はすべて帳消し)という碑文(柳生の徳政碑文)が刻まれました。現存し、教科書頻出史料です。
義教の暗殺は、日本史で将軍が公然と殺された数少ない事例です(他に源実朝、織田信長など)。これにより幕府の権威は決定的に弱まり、半世紀後の応仁の乱への伏線となります。

💡 ポイント
  • 4代足利義持=義満の子、日明貿易を一時中断
  • 6代足利義教=くじ引き将軍、万人恐怖の専制政治
  • 1428年=正長の土一揆、徳政を要求
  • 柳生の徳政碑文=正長の土一揆の史料
  • 1438-1439年=永享の乱、鎌倉公方足利持氏滅亡
  • 1441年=嘉吉の変、赤松満祐が将軍義教を暗殺
  • 嘉吉の徳政一揆=義教暗殺直後の一揆、初の徳政令獲得

注意点 (混同しやすい)

義持(4代)義教(6代)を混同しない。義満(3代)→義持(4代)→義量(5代、短命)→義教(6代)。
正長の土一揆(1428)嘉吉の徳政一揆(1441)を区別。前者は史上初の本格的一揆、後者は徳政令を初めて獲得した一揆。
永享の乱=関東の鎌倉公方足利持氏 vs 幕府、嘉吉の変=守護赤松満祐 vs 将軍義教。両方とも義教の時代だが内容が違う。
土倉・酒屋は当時の高利貸し業者。土倉=質屋、酒屋=酒造業者で、ともに金融業を兼ねた。

練習

  1. 1428年に発生した日本史上初の本格的な土一揆の名前を答えよ。
  2. 1441年に将軍足利義教を暗殺した守護の名前を答えよ。
  3. 「万人恐怖」と称された専制政治を行った6代将軍の名前を答えよ。

このレッスンのQ&A

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