日本 / 安土桃山時代 2 / 6

秀吉の天下統一

秀吉の天下統一

農民の子から「天下人」まで上り詰めた豊臣秀吉(1537-1598)。信長の死後、わずか8年で天下統一を成し遂げました。

基本知識

豊臣秀吉(本名:木下藤吉郎→羽柴秀吉→豊臣秀吉)は、尾張中村の農民の子と伝わります。信長の足軽として仕え、出世。
1582年6月13日:山崎の戦い — 本能寺の変の11日後、京都山崎(現京都府大山崎町)で明智光秀を討つ。「天王山の戦い」とも。
1583年:賤ヶ岳の戦い — 信長の宿老柴田勝家を破り、信長後継者の地位を確立。
1583年:大坂城築城開始 — 石山本願寺跡に難攻不落の巨城を建設。
1584年:小牧・長久手の戦い — 徳川家康と織田信雄の連合軍と戦う。決着つかず和睦。後に家康を臣従させる。
1585年:四国平定 — 長宗我部元親を降伏させる。秀吉は関白に任命される。
1586年:豊臣姓を朝廷から賜る。太政大臣にも就任。
1587年:九州平定 — 島津義久を降伏させる。バテレン追放令を発布。
1588年:刀狩令 — 農民から武器を取り上げる。
1590年:小田原征伐 — 北条氏政・氏直を滅ぼし、奥州の伊達政宗も服属。天下統一完成
1592年:文禄の役 — 朝鮮出兵開始。
1597年:慶長の役 — 朝鮮再出兵。
1598年:秀吉死去(享年62)、朝鮮からの撤兵。

📘 秀吉の天下統一年表
1582年 山崎の戦い(明智光秀を討つ)
1583年 賤ヶ岳の戦い(柴田勝家を破る)、大坂城築城
1585年 四国平定、関白に任命
1587年 九州平定、バテレン追放令
1588年 刀狩令
1590年 小田原征伐、天下統一完成
1592-1593年 文禄の役
1597-1598年 慶長の役、秀吉死去

深掘り (背景・影響)

秀吉の天下統一は、わずか8年という驚異的なスピードで達成されました。これは信長の事業を引き継いだことと、秀吉の調略(寝返り工作)大軍動員の能力によります。秀吉は戦闘で打ち負かすより、政治的に屈服させることが多かったのが特徴です。
秀吉は農民出身のため征夷大将軍にはなれず(源氏でないため)、関白(藤原氏の最高職)に就任しました。1586年には朝廷から豊臣姓を賜り、新たな貴族として位置づけられました。
大坂城は石山本願寺跡に建てられ、本丸・二の丸・三の丸の三重構造、巨大な石垣で囲まれた難攻不落の城でした。城下町大坂は「天下の台所」(後の江戸時代に確立する呼称)の起源となります。
1598年8月18日、秀吉は伏見城で死去。その遺言で五大老(徳川家康、前田利家、毛利輝元、宇喜多秀家、上杉景勝)と五奉行(石田三成ら)に幼い息子豊臣秀頼(6歳)を託しましたが、すぐに権力闘争が始まります。

💡 ポイント
  • 1582年=山崎の戦い、本能寺の変の11日後
  • 1583年=賤ヶ岳で柴田勝家を破る、大坂城築城
  • 1585年=関白就任、四国平定
  • 1587年=九州平定、バテレン追放令
  • 1588年=刀狩令、農民の武装解除
  • 1590年=小田原征伐(北条氏滅亡)、天下統一
  • 1592年=文禄の役、1597年=慶長の役
  • 1598年=秀吉死去、朝鮮撤兵、五大老・五奉行制

注意点 (混同しやすい)

山崎の戦い(1582)=秀吉 vs 明智光秀、賤ヶ岳の戦い(1583)=秀吉 vs 柴田勝家。両方とも秀吉の勝利。
関白=秀吉、征夷大将軍=家康。秀吉が将軍になれなかったのは農民出身だったため。
文禄の役(1592-1593)慶長の役(1597-1598)を区別。順序を確実に。
豊臣秀吉(本名:木下藤吉郎)の改名遍歴=木下藤吉郎→羽柴秀吉→豊臣秀吉。教科書では「豊臣秀吉」が一般的。

練習

  1. 豊臣秀吉が天下統一を完成させた年と、その時に滅ぼした関東の戦国大名の名前を答えよ。
  2. 豊臣秀吉が就いた、天皇を補佐する朝廷の最高職の名前を答えよ。
  3. 豊臣秀吉が遺言で幼い秀頼を託した五人の有力大名の総称を答えよ。

このレッスンのQ&A

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