日本 / 江戸時代 4 / 6

田沼意次と寛政・天保の改革

田沼意次と寛政・天保の改革

享保の改革で立て直された幕府財政も、18世紀後半には再び危機に。田沼意次の積極策、続く寛政・天保の改革と、幕府は様々な手を打ちますが、近世社会の矛盾は深まっていきます。

基本知識

田沼意次(たぬまおきつぐ)時代(1772-1786、10代将軍家治の老中):
株仲間の積極公認 — 商業を奨励し、運上・冥加(税)を徴収
長崎貿易の拡大 — 銅・俵物(干しナマコ・干しアワビなど中国向け輸出品)
蝦夷地開発計画工藤平助『赤蝦夷風説考』を採用、最上徳内らを蝦夷地に派遣
印旛沼・手賀沼の干拓(失敗)
1782-1788年:天明の大飢饉 — 浅間山大噴火(1783)も加わり大被害、各地で百姓一揆・打ちこわし続発
1786年:田沼失脚(11代家斉の代替わり、商業重視への反発)
寛政の改革(1787-1793、老中松平定信、11代家斉):
囲米の制 — 飢饉に備えて米を備蓄
旧里帰農令 — 都市の貧民を農村に戻す
棄捐令(きえんれい) — 旗本・御家人の借金を札差(高利貸し)に放棄させる
七分積金 — 江戸町費の節約分を積み立て、貧民救済に充てる
寛政異学の禁(1790) — 朱子学を正学とし、湯島聖堂で他学派(古学・折衷学)を禁止
出版統制 — 山東京伝、林子平らを処罰(林『海国兵談』禁書)
⇒厳しすぎて不評、6年で定信失脚。「白河の清きに魚もすみかねて もとの濁りの田沼恋しき」と狂歌に詠まれる。
天保の改革(1841-1843、老中水野忠邦、12代家慶):
株仲間解散令(1841) — 物価高騰の原因を株仲間の独占と判断
人返しの法 — 江戸の貧民を強制的に農村に帰す
上知令(あげちれい、1843) — 江戸・大坂周辺の大名・旗本領を幕領化しようとしたが、大名・旗本の猛反対で撤回。これが原因で水野失脚。
奢侈禁止令 — 庶民の贅沢を厳しく取り締まる、寄席・芝居の制限
⇒厳しすぎて反発を招き、2年余りで失敗。

📘 江戸三大改革+田沼時代
享保の改革 1716-1745、徳川吉宗
田沼時代 1772-1786、田沼意次(老中)
寛政の改革 1787-1793、松平定信(老中)
天保の改革 1841-1843、水野忠邦(老中)

深掘り (背景・影響)

江戸三大改革と田沼時代は、それぞれ異なるアプローチで幕府財政再建を目指しました。
享保の改革=質素倹約+新田開発(農本主義)
田沼時代=商業振興+貿易拡大(重商主義)
寛政の改革=享保の復古(農本主義への回帰)
天保の改革=寛政の延長(厳しい統制)
結局、幕府の財政基盤はであり、商業発展で利益を得るのは商人と一部大名でした。商品経済の発展により、貨幣収入を得られない武士は次第に窮乏し、農民も商品作物栽培で貨幣経済に巻き込まれて格差が拡大しました。
百姓一揆打ちこわしは江戸時代を通じて増加しました。とくに天明・天保の大飢饉時には頻発。1837年には大坂で元町奉行所与力大塩平八郎が貧民救済のため反乱を起こす(大塩平八郎の乱)など、幕府権威が大きく揺らぎました。
幕府改革の失敗は、近世社会の構造的矛盾を露呈し、明治維新への伏線となります。

💡 ポイント
  • 田沼意次=重商主義、株仲間公認、蝦夷地開発
  • 天明の大飢饉(1782-1788)+浅間山噴火
  • 寛政の改革=松平定信、白河藩主、復古的
  • 棄捐令・寛政異学の禁・囲米
  • 天保の改革=水野忠邦、株仲間解散・上知令
  • 1837年=大塩平八郎の乱(大坂)
  • 三大改革=享保・寛政・天保(田沼は含まない)
  • 狂歌「白河の清き...もとの濁りの田沼恋しき」

注意点 (混同しやすい)

江戸三大改革=享保(吉宗)・寛政(定信)・天保(忠邦)田沼意次の政治は三大改革には含まない(性格が逆だから)。
松平定信(寛政の改革)は8代吉宗の孫、白河藩主から老中に。水野忠邦(天保の改革)は浜松藩主。
寛政異学の禁(1790)=朱子学のみを正学とし、他学派を湯島聖堂で禁ずる。学問統制の典型。
大塩平八郎の乱(1837)は陽明学者の元与力が起こした反乱。1日で鎮圧されたが、幕府権威失墜の象徴的事件。

練習

  1. 田沼意次の政策の特徴を、「株仲間」の語を用いて簡潔に説明せよ。
  2. 寛政の改革を行った老中の名前を答えよ。
  3. 1837年に大坂で元町奉行所与力が起こした反乱の名前を答えよ。
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このレッスンのQ&A

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