セルジューク朝とイスラーム世界の再編
11世紀に中央アジアから台頭したトルコ系セルジューク族は、バグダードに入城してアッバース朝カリフからスルタンの称号を得、スンナ派イスラーム世界の守護者として中東・中央アジアを支配しました。
セルジューク朝の成立(1038年)
- セルジューク族はカラハン朝・ガズナ朝のもとでイスラームに改宗したオグズ系トルコ人
- 1038年:トゥグリル・ベクがガズナ朝を破りイラン高原を制圧
- 1055年:バグダードへ入城、アッバース朝カリフからスルタン(世俗的支配者)の称号を授与される
- スンナ派の守護者として、シーア派のファーティマ朝と対抗
最盛期と対外政策
- 1071年:マンジケルトの戦いでビザンツ帝国を撃破→小アジアへのトルコ人進出・第1回十字軍の遠因
- 宰相ニザーム=アルムルクがニザーミーヤ学院(マドラサ)を各地に設立→スンナ派イスラームの制度的教育基盤を整備
- ガザーリー(1058〜1111):ニザーミーヤ学院で教え、哲学とイスラーム信仰の調和を図った神学者。「哲学の批判者」とも呼ばれる
📘 重要事項
十字軍との接触:第1回十字軍(1096〜1099)はセルジューク朝がビザンツを圧迫したことへの対応として組織された。皮肉にも十字軍がエルサレムを占領(1099)した相手はセルジューク朝から分裂したファーティマ朝(エジプト)だった。十字軍とセルジューク朝・アイユーブ朝の抗争が約200年続き、中東の政治地図を大きく変えた。
十字軍との接触:第1回十字軍(1096〜1099)はセルジューク朝がビザンツを圧迫したことへの対応として組織された。皮肉にも十字軍がエルサレムを占領(1099)した相手はセルジューク朝から分裂したファーティマ朝(エジプト)だった。十字軍とセルジューク朝・アイユーブ朝の抗争が約200年続き、中東の政治地図を大きく変えた。
分裂と衰退
セルジューク朝は12世紀に急速に分裂し、イラン・イラク・シリア・アナトリアに別々のセルジューク系政権が乱立しました。1194年にイラン・イラクのセルジューク朝がホラズム朝に滅ぼされ、13世紀初頭にはモンゴル帝国の台頭によってすべての後継政権が消滅しました。
練習
- セルジューク朝が1055年にバグダードで獲得した称号とその意味を答えなさい。
- ニザーム=アルムルクのマドラサ設立がイスラーム史にとってどのような意義を持つか答えなさい。
- 1071年マンジケルトの戦いの経緯と、十字軍へつながる歴史的連鎖を説明しなさい。