唐の衰退と五代十国
8世紀中葉以降、唐は内乱と外圧により衰退し、907年に滅亡。中国は再び分裂期を迎えます。
安史の乱(755〜763年)
- 節度使(辺境の軍司令官)安禄山・史思明が反乱
- 唐は鎮圧できたが中央集権が崩れ、節度使が地方権力として自立
- 均田制・租庸調の崩壊、社会不安の増大
📘 五代十国と宋の統一
907年、黄巣の乱を鎮圧した朱温が唐を滅ぼす。その後50年間、五代(北方)・十国(南方)の分裂時代。
960年、趙匡胤(太祖)が宋を建国し再統一。
宋は軍事より文治主義を採用。科挙を拡充し文人官僚(士大夫)が政治の中心に。
907年、黄巣の乱を鎮圧した朱温が唐を滅ぼす。その後50年間、五代(北方)・十国(南方)の分裂時代。
960年、趙匡胤(太祖)が宋を建国し再統一。
宋は軍事より文治主義を採用。科挙を拡充し文人官僚(士大夫)が政治の中心に。
💡 ポイント
- 安史の乱→唐の中央集権体制の崩壊の始まり
- 五代十国(907〜960)= 分裂時代
- 宋(960〜1279)= 文治主義・科挙拡充・士大夫の時代
練習問題
- 唐の衰退を招いた755年の反乱の名称と首謀者の一人を答えよ。
- 宋を建国した人物の名前と称号を答えよ。
- 宋が採用した政治方針(軍事よりも〇〇を重視)を答えよ。
解答
- 安史の乱、安禄山(または史思明)
- 趙匡胤(太祖)
- 文治主義(文人官僚による統治)