足利義満と日明貿易
3代将軍足利義満は、室町幕府の最盛期を築いた人物です。南北朝合一、日明貿易、北山文化と、足利将軍家でもっとも多くの業績を残しました。
基本知識
足利義満は1368年に11歳で3代将軍に就任。1378年に京都の室町に「花の御所」を建てて移ります(室町幕府の名の由来)。1392年に南北朝合一を実現し、内戦に終止符を打ちました。
1394年には将軍職を子の義持に譲り、自らは太政大臣に就任(武家として初めて)。その後出家しますが、引き続き実権を握り続けました。
1397年には京都北山に金閣(鹿苑寺金閣)を建立。これが北山文化の象徴です。
外交では、中国の明と国交を結びました。1401年に明に使者を送り、1404年から正式な日明貿易(勘合貿易)を開始。義満は明から「日本国王」と認められ、これを受け入れました。貿易では明から発行された勘合(かんごう)(割符)を持参することで、正規の使節か倭寇(わこう)(海賊)かを区別しました。
輸入品は銅銭(永楽通宝)、生糸、絹織物、書籍など。輸出品は銅、硫黄、刀剣、漆器など。日本は莫大な利益を得ました。
1378年 花の御所を建立(室町の名の由来)
1392年 南北朝合一を実現
1394年 太政大臣に就任(武家初)
1397年 金閣(鹿苑寺)建立
1401年 明に使者を派遣
1404年 勘合貿易開始
深掘り (背景・影響)
義満が明から「日本国王」の称号を受け入れたことは、当時から批判されました。中国の冊封体制(中国皇帝の臣下になる)に組み込まれることを意味するからです。しかし義満は貿易の利益を優先しました。明の永楽通宝は日本の貨幣経済を発展させ、日本史上初めて国産以外の貨幣が広く流通する時代となりました。
当時、明の沿岸は倭寇に苦しめられていました。倭寇とは、日本人(主に対馬・松浦・五島あたりの武装商人)を中心とした海賊集団で、後期には朝鮮人・中国人も加わりました。明は倭寇を抑えるため、義満と国交を結び、勘合制度で正規の貿易船を区別しました。
朝鮮との関係では、1392年に建国された李氏朝鮮とも国交を結び、対馬の宗氏が貿易を仲介しました。
- 足利義満=3代将軍、室町幕府の最盛期
- 1392年=南北朝合一、1397年=金閣建立
- 1404年=日明貿易(勘合貿易)開始
- 勘合=正規の使節と倭寇を区別する割符
- 明からの輸入=永楽通宝、生糸、絹織物、書籍
- 日本からの輸出=銅、硫黄、刀剣、漆器
- 義満は明から「日本国王」の称号を受ける
- 朝鮮との貿易=対馬の宗氏が仲介
注意点 (混同しやすい)
① 勘合貿易と朱印船貿易を混同しない。勘合貿易=室町(明との貿易)、朱印船貿易=江戸初期(東南アジアとの貿易)。
② 金閣(義満)と銀閣(8代義政)を区別。義満=北山文化、義政=東山文化。
③ 倭寇には前期(14世紀、日本人中心)と後期(16世紀、中国人中心)がある。
④ 「日本国王」の称号は、義満が中国の冊封体制に入ったことを意味する。教科書では批判的に扱われることが多い。
練習
- 南北朝の合一を実現した将軍と、その年を答えよ。
- 日明貿易で正規の使節であることを示すために使われた割符の名前を答えよ。
- 足利義満が京都北山に建てた建物の正式名称を答えよ。