日本 / 南北朝時代 5 / 6

北山文化と南北朝期の社会

北山文化と南北朝期の社会

足利義満の時代を中心に栄えたのが北山文化です。公家文化と武家文化、そして禅宗の影響が融合した、優雅で華やかな文化が花開きました。

基本知識

北山文化の最大の象徴は、1397年に義満が建てた金閣(鹿苑寺金閣)です。1層が寝殿造(平安貴族の様式)、2層が和様、3層が禅宗様(中国風)という三様式の融合が特徴で、武家・公家・禅宗の三文化の融合を体現しています。
能楽では、観阿弥(かんあみ)・世阿弥(ぜあみ)父子が義満の保護を受け、を芸術として大成しました。世阿弥の著書『風姿花伝』(花伝書)は、能の極意を記した世界的にも知られる古典です。
絵画では、水墨画が中国(明)から伝わり、明兆(みんちょう)・如拙(じょせつ)・周文らが活躍。如拙の『瓢鮎図(ひょうねんず)』(瓢箪でなまずを捕まえる絵)は禅問答を絵画化した名作です。
文学では、軍記物『太平記』(南北朝の動乱を描く)、歴史書『梅松論』(足利方の歴史観)、『神皇正統記』(北畠親房、南朝の正統性を主張)などが書かれました。
社会では、惣村(そうそん)と呼ばれる自治的な村落が成立。村人が寄合掟(おきて)を定め、領主から自治権を獲得しました。土一揆(つちいっき)(後の正長の土一揆など)の基盤ともなります。

📘 北山文化の主要作品
建築 金閣(鹿苑寺) — 義満、1397年、三様式の融合
観阿弥・世阿弥(父子) — 『風姿花伝』
水墨画 明兆・如拙(『瓢鮎図』)・周文
文学 『太平記』『梅松論』『神皇正統記』(北畠親房)
闘茶(茶の産地を当てる遊び)が流行

深掘り (背景・影響)

北山文化の本質は、禅宗(臨済宗)の世界観に支えられた文化です。義満は夢窓疎石(むそうそせき)(後醍醐に庇護されたが後に北朝へ)の弟子・春屋妙葩(しゅんおくみょうは)を信任し、京都・鎌倉の五山十刹(ござんじっせつ)制度(臨済宗の寺院ランキング)を整備しました。京都五山=天龍寺・相国寺・建仁寺・東福寺・万寿寺、鎌倉五山=建長寺・円覚寺・寿福寺・浄智寺・浄妙寺。
五山の禅僧は中国語(漢文)に堪能で、外交文書の起草や明への使節も務めました。彼らが伝えた五山文学(漢詩文)、水墨画、茶、書道、料理(精進料理)などが、後の日本文化の基盤となります。
能の世阿弥は、義満の寵愛を受けて芸術を高めましたが、義満の死後は冷遇され、晩年は佐渡に流されました。芸術家と権力者の関係の難しさを示すエピソードです。

💡 ポイント
  • 北山文化=足利義満の時代、公家+武家+禅宗の融合
  • 金閣=1397年、三様式(寝殿造・和様・禅宗様)
  • 能=観阿弥・世阿弥、『風姿花伝』は世阿弥の著
  • 水墨画=明兆、如拙(『瓢鮎図』)、周文
  • 『神皇正統記』=北畠親房、南朝の正統性を主張
  • 五山=京都五山と鎌倉五山、臨済宗の寺院ランキング
  • 惣村=自治的な村落、寄合・掟・自治権

注意点 (混同しやすい)

北山文化(義満・金閣)と東山文化(義政・銀閣)を絶対に混同しない。順序も大切。
観阿弥(父)・世阿弥(子)はセットで覚える。『風姿花伝』は世阿弥の著作。
『太平記』(南北朝の動乱)と『平家物語』(源平の戦い)は別の軍記物。時代が違う。
五山(臨済宗の寺院制度)と五山文学(漢詩文の文学運動)はセットだが別概念。

練習

  1. 北山文化を代表する建築物の名前と、その建立年を答えよ。
  2. 能を芸術として大成した観阿弥の息子で、『風姿花伝』を著した人物の名前を答えよ。
  3. 南朝の正統性を主張した北畠親房の歴史書の名前を答えよ。
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このレッスンのQ&A

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