日清・日露戦争とアジアの民族運動
20世紀初頭、日本がアジアで唯一近代化に成功した列強となります。日本の戦勝はアジア各地の民族運動を活気づけました。
基本知識
1894-95年の日清戦争で日本は清を破り(下関条約で台湾・遼東半島・賠償金獲得、ただし三国干渉で遼東半島返還)、アジア初の近代国家として列強の仲間入り。1904-05年の日露戦争では大国ロシアを破り(ポーツマス条約、米仲介)、アジア・アフリカに大きな影響を与えました。1905年にはペルシア(イラン)で立憲革命、1908年に青年トルコ革命(オスマン帝国の立憲化)、1911年には中国で辛亥革命が起こります。日本の勝利が「アジアもやれる」という確信を各地のナショナリストに与えました。インド独立運動家ネルーもこの時の興奮を後に回想しています。
1894-95年 日清戦争→下関条約
1904-05年 日露戦争→ポーツマス条約
1905年 ベンガル分割令→反英運動、ペルシア立憲革命
1908年 青年トルコ革命
1910年 韓国併合
1911-12年 辛亥革命→中華民国成立
1919年 三・一独立運動(朝鮮)、五・四運動(中国)、ローラット法反対運動(インド)
深掘り (背景・影響)
1911年10月10日、湖北省武昌で新軍が蜂起し辛亥革命が始まります。孫文が革命の理論的指導者で、三民主義(民族・民権・民生)を掲げていました。1912年1月1日、南京で中華民国が成立、孫文が臨時大総統に。しかし袁世凱(清の北洋軍閥)との取引で、清の宣統帝溥儀退位(2月12日、清朝滅亡)と引き換えに袁世凱が大総統に就任。袁が死去(1916)すると軍閥割拠の混乱時代に入ります。1919年5月4日、ヴェルサイユ条約で山東半島の権益が日本に移ったことに反発し五・四運動(北京大学生から)が勃発。同年3月1日には朝鮮で三・一独立運動(独立宣言・万歳事件)も起こりました。アジアの民族意識が一気に高まった年です。
- 日露戦争(1904-05)=アジア初のヨーロッパ大国撃破
- 韓国併合=1910年、朝鮮総督府
- 辛亥革命=1911年、武昌蜂起
- 中華民国成立=1912年1月1日、孫文臨時大総統
- 清朝滅亡=1912年2月12日、宣統帝溥儀退位
- 三民主義=民族・民権・民生(孫文)
- 三・一独立運動(朝鮮)=1919年3月1日
- 五・四運動(中国)=1919年5月4日
注意点 (混同しやすい)
① 孫文(中華民国の父・三民主義・1925没)と袁世凱(北洋軍閥・帝政復活を試み失敗・1916没)、蒋介石(国民党・後継)、毛沢東(共産党)を区別。② 三・一独立運動(1919/3/1・朝鮮)と五・四運動(1919/5/4・中国)は同じ1919年。③ 辛亥革命の「辛亥」は干支(1911年)。④ 三民主義=民族・民権・民生で、自由・平等・友愛(仏革命)とは別。
練習
- 辛亥革命の発端となった1911年10月10日の蜂起の場所は。
- 1912年に成立した中華民国の初代臨時大総統は誰か。
- 朝鮮で1919年に独立を求めて起こった運動の名称は。