第二次世界大戦と戦後処理
1939年から1945年、人類史上最大の戦争が地球規模で展開しました。約8,500万人が犠牲となり、世界の秩序は完全に再編されます。
基本知識
1939年8月23日に独ソ不可侵条約が締結され、1939年9月1日にドイツがポーランド侵攻を開始、9月3日に英仏が独に宣戦布告して第二次世界大戦が勃発。独は電撃戦で1940年にフランスを陥落させ、1941年6月22日に独ソ戦(バルバロッサ作戦)を開始。1941年12月8日(日本時間)、日本がパールハーバーを奇襲し太平洋戦争勃発、独・伊も対米宣戦して世界大戦化。連合国側では1941年8月に大西洋憲章(F.ローズベルト・チャーチル)、1942年1月に連合国共同宣言が結ばれます。1943年2月スターリングラードの戦いでソ連が独を撃破、1944年6月6日ノルマンディー上陸作戦(D-Day)で西部戦線が回復。
1941年8月 大西洋憲章(F.ローズベルト・チャーチル)
1943年11月 カイロ会談(米英中・対日方針)
1943年11-12月 テヘラン会談(米英ソ・第二戦線開設)
1945年2月 ヤルタ会談(米英ソ・戦後処理・ソ連対日参戦密約)
1945年7月 ポツダム会談(米英ソ・対日降伏勧告)
1945年8月 広島・長崎原爆、ソ連対日参戦、日本降伏
1945年10月24日 国際連合発足(本部ニューヨーク)
深掘り (背景・影響)
戦争の犠牲者は約5,000万-8,500万人(第一次大戦の5倍以上)に達し、特にホロコースト(ナチスによるユダヤ人600万人の組織的虐殺・アウシュヴィッツ強制収容所等)、原爆投下(広島約14万・長崎約7万死亡)、ソ連の犠牲(約2,700万人)が突出しました。1945年5月8日に独降伏、9月2日に日本が降伏文書に調印し終戦。1945年6月にサンフランシスコ会議で国際連合憲章が採択され、10月24日(現国連の日)に国際連合(UN)が発足。本部はニューヨーク、安全保障理事会の常任理事国は米・英・仏・露(ソ連)・中の5か国で拒否権を持ちます。1945-46年にはニュルンベルク裁判(対独)・東京裁判(対日)で戦争犯罪が裁かれました。1948年に国連総会で世界人権宣言が採択され、戦後の人権思想の出発点となります。
- 第二次大戦勃発=1939年9月1日独のポーランド侵攻
- 独ソ不可侵条約=1939年8月(密約あり)
- 独ソ戦開始=1941年6月22日
- 太平洋戦争開戦=1941年12月8日
- ノルマンディー上陸=1944年6月6日(D-Day)
- 独降伏=1945年5月8日、日本降伏=1945年8月15日(調印9月2日)
- 国際連合発足=1945年10月24日
- 世界人権宣言=1948年
注意点 (混同しやすい)
① カイロ会談(1943・米英中)、テヘラン(1943・米英ソ)、ヤルタ(1945年2月・米英ソ)、ポツダム(1945年7月・米英ソ)を参加国と年で区別。② 独ソ不可侵条約(1939)を結んでおきながら独がソに侵攻(1941)した点が異常。③ 国際連盟(1920・全会一致・米不参加)と国際連合(1945・多数決+拒否権・米中心)は別組織。④ 終戦記念日は日本では8月15日(玉音放送)、欧米では5月8日(VE Day)または9月2日(VJ Day)と国により違う。
練習
- 第二次世界大戦の発端となった1939年9月1日の出来事は。
- 1945年10月24日に発足した国際機構の名称は。
- 国連安全保障理事会の常任理事国5か国を答えよ。