キューバ危機とデタント
1962年、世界は核戦争の一歩手前まで近づきました。その後、米ソは緊張緩和(デタント)に向かいます。
基本知識
1959年1月、カストロ率いる革命軍がキューバの親米バティスタ政権を倒しキューバ革命に成功。1961年に米と国交断絶、ソ連寄りに。1962年10月、米偵察機がキューバにソ連の核ミサイル基地建設を発見、キューバ危機が発生しました。米大統領ケネディは海上封鎖(検疫)を発令、ソ連書記長フルシチョフと13日間の緊張が続き、核戦争寸前まで行きました。最終的にソ連がミサイル撤去、米はキューバ不侵攻・トルコのミサイル撤去を約束し危機回避。これを機に米ソ首脳間のホットラインが設置(1963)、1963年部分的核実験禁止条約(PTBT)、1968年核拡散防止条約(NPT)が結ばれ、緊張緩和が進みました。
1959年 キューバ革命(カストロ)
1961年 ベルリンの壁建設、ユーリイ・ガガーリン人類初の宇宙飛行
1962年10月 キューバ危機
1963年 部分的核実験禁止条約、ホットライン
1968年 核拡散防止条約(NPT)、プラハの春→ソ連が軍事介入
1969年 アポロ11号月面着陸(米のアームストロング船長)
1972年 ニクソン訪中・訪ソ、SALT-I(戦略兵器制限交渉)
1975年 ヘルシンキ宣言(CSCE・全欧安保協力会議)
深掘り (背景・影響)
米ソは宇宙開発競争でも激突しました。1957年、ソ連が世界初の人工衛星スプートニク1号打ち上げに成功(スプートニク・ショック)。1961年4月、ソのガガーリン(「地球は青かった」)が人類初の有人宇宙飛行。米は1961年にケネディが「10年以内に人を月へ」と宣言、アポロ計画を推進し、1969年7月20日、アポロ11号のアームストロング船長が人類初の月面着陸を果たします(「人類にとっては大きな一歩」)。一方1968年のチェコスロヴァキアでは「プラハの春」(ドプチェク第一書記の自由化改革)が起き、ソ連がワルシャワ条約機構軍を投入して鎮圧、ブレジネフ・ドクトリン(制限主権論)で正当化しました。中国では1966-76年文化大革命で毛沢東が紅衛兵を動員し政敵を打倒、約数千万人が犠牲になったとされます。
- キューバ革命=1959年・カストロ
- キューバ危機=1962年10月、ケネディvsフルシチョフ
- 核拡散防止条約(NPT)=1968年
- スプートニク1号=1957年・ソ連(世界初衛星)
- ガガーリン=1961年人類初有人宇宙飛行
- アポロ11号月面着陸=1969年7月20日、アームストロング
- プラハの春=1968年、ソ連が鎮圧
- 文化大革命=1966-76年、毛沢東
注意点 (混同しやすい)
① ケネディ(米大統領・1961-63・キューバ危機・1963年暗殺)とフルシチョフ(ソ書記長・スターリン批判)を区別。② 部分的核実験禁止条約(PTBT・1963・地下以外禁止)と核拡散防止条約(NPT・1968・新たな核保有禁止)を区別。③ プラハの春(1968・チェコ)とハンガリー動乱(1956)はいずれもソ連が鎮圧。④ アポロ11号は1969年、米ソ協力のソユーズ・アポロ計画は1975年。
練習
- 1962年に米ソが核戦争寸前まで対立した出来事は。
- 1969年7月に人類初の月面着陸を果たした宇宙船と船長名は。
- 1968年にチェコスロヴァキアで起きた自由化運動の名は。