近現代 / 冷戦と現代世界 4 / 6

ソ連崩壊と冷戦終結

1989年から1991年、世界の地図と政治体制が一気に塗り替わりました。約半世紀続いた冷戦は意外な形で終わります。

1980年代のソ連は経済停滞・アフガニスタン侵攻(1979-89)の泥沼化で疲弊。1985年、ゴルバチョフが共産党書記長に就任し、ペレストロイカ(立て直し)・グラスノスチ(情報公開)・新思考外交を推進。1987年に米ソはINF全廃条約(中距離核戦力)を締結。東欧では1989年に東欧革命が連鎖:ポーランドでワレサ率いる「連帯」が選挙勝利(6月)、ハンガリー国境開放、1989年11月9日、ベルリンの壁崩壊。1989年12月、米ブッシュ(父)・ソ連ゴルバチョフがマルタ会談で「冷戦終結」を宣言。1990年10月3日、東西ドイツが統一(コール首相)。1991年12月25日、ゴルバチョフ辞任でソ連邦解体、CIS(独立国家共同体)が発足しました。

冷戦終結の年表
1985年 ゴルバチョフ書記長就任
1986年 チェルノブイリ原発事故
1987年 INF全廃条約
1989年6月 中国・天安門事件、ポーランド「連帯」勝利
1989年11月9日 ベルリンの壁崩壊
1989年12月 マルタ会談(冷戦終結宣言)
1990年10月3日 東西ドイツ統一
1991年8月 ソ連保守派クーデタ失敗
1991年12月25日 ソ連邦解体

背景

東欧諸国は次々と民主化:チェコスロヴァキアのビロード革命(無血)、ルーマニアのチャウシェスク大統領処刑(流血革命)など。1990年、ナミビア独立(アフリカ最後の植民地解放)、湾岸戦争(イラクのクウェート侵攻に対し米国主導の多国籍軍が反撃、1991年)。1993年、EU(欧州連合)がマーストリヒト条約で発足、1999年に共通通貨ユーロ導入(2002年から現金流通)。中国では1989年6月4日、北京・天安門広場で民主化を求めた学生・市民を人民解放軍が武力鎮圧する天安門事件が起き、共産党体制は維持されました。鄧小平の改革開放政策(1978-)・社会主義市場経済路線が継続され、中国は経済成長を続けます。

ポイント
  • ペレストロイカ・グラスノスチ=ゴルバチョフの改革
  • INF全廃条約=1987年米ソ核軍縮
  • ベルリンの壁崩壊=1989年11月9日
  • マルタ会談=1989年12月、冷戦終結宣言
  • 東西ドイツ統一=1990年10月3日(コール首相)
  • ソ連邦解体=1991年12月25日
  • 天安門事件=1989年6月4日中国
  • 鄧小平=改革開放・社会主義市場経済
  • EU発足=1993年マーストリヒト条約

間違えやすいところ

① ベルリンの壁建設(1961)と崩壊(1989)を区別。② ゴルバチョフ(ソ連最後の指導者)・エリツィン(ロシア初代大統領)・プーチン(現大統領)を区別。③ 天安門事件(1989・中国)とマルタ会談(1989・冷戦終結)は同じ1989年だが別の出来事。④ EC(欧州共同体・1967)→EU(欧州連合・1993)→ユーロ(1999/2002)の流れ。

練習問題

  1. ソ連でペレストロイカを推進した指導者は誰か。
  2. ベルリンの壁が崩壊したのは何年何月何日か。
  3. ソビエト連邦が解体したのは何年何月か。

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