突厥と草原の大帝国
6世紀中頃、モンゴル高原を中心にトルコ系遊牧民の連合国家「突厥(とっけつ)」が誕生しました。突厥は東西に広がる巨大な遊牧帝国を形成し、独自の文字を持った初めてのトルコ系民族として知られます。
突厥(552〜744年)の成立
- 552年:ブミン・カガンが柔然を滅ぼし突厥を建国。カガン(可汗)が君主の称号
- 最盛期には東は内モンゴルから西はカスピ海・中央アジアに及ぶ広大な版図
- 中国の隋・唐と緊張関係にあり、一時は両朝に対して圧倒的な優位を保った
- 6世紀末〜7世紀初頭に東西突厥に分裂。東突厥は唐(太宗)に征服(630年)
突厥文字と文化
- 突厥文字(ルーン文字系):現存最古のトルコ語碑文を記した独自の文字体系
- オルホン碑文(8世紀):モンゴル高原のオルホン川沿いに建立された碑文。当時の突厥社会・政治思想を伝える重要な史料
- 「トルコ人よ、永遠に生き続けよ」など民族の誇りを表す文言が刻まれており、トルコ民族意識の原点とされる
📘 重要事項
突厥とシルクロード:突厥はソグド人商人と組んで東西交易路を管理・保護し、交易の通行税を徴収することで大きな収益を得ていた。突厥・ソグド連合がシルクロードの中継交易を支配したことが、両者の繁栄の経済的基盤となった。突厥の西方拡大の動機の一つは交易路の掌握にあった。
突厥とシルクロード:突厥はソグド人商人と組んで東西交易路を管理・保護し、交易の通行税を徴収することで大きな収益を得ていた。突厥・ソグド連合がシルクロードの中継交易を支配したことが、両者の繁栄の経済的基盤となった。突厥の西方拡大の動機の一つは交易路の掌握にあった。
後突厥と滅亡
682年に一時的に東突厥が復活(後突厥)しましたが、744年に同じトルコ系のウイグルによって滅ぼされました。突厥の後継者を自称するトルコ系民族は、その後もユーラシア史の主役であり続けました。
練習
- 突厥の建国者と建国年、および滅ぼした相手の遊牧民族を答えなさい。
- オルホン碑文はなぜ「トルコ民族史上重要」とされるのか説明しなさい。
- 突厥がソグド人と組んで経済的利益を得た仕組みを説明しなさい。