ロシアの中央アジア進出
19世紀、ロシア帝国は急速に中央アジアへの勢力拡大を進めました。当時の中央アジアにはブハラ・ヒヴァ・コーカンドという3つのウズベク系ハン国が存在していましたが、軍事技術で圧倒的に優越するロシア軍の前に次々と征服されていきました。
3つのハン国
- コーカンド・ハン国(1709〜1876):フェルガナ盆地を支配。1876年にロシアが直接併合
- ブハラ・ハン国(1500頃〜1920):かつてのティムール朝の中心地。1868年にロシアの保護国化
- ヒヴァ・ハン国(1511〜1920):アム川下流域。1873年にロシアの保護国化
- 3ハン国はいずれも1920年のソヴィエト軍の進攻で最終的に消滅
ロシア進出の背景と方法
- 動機:南下政策(不凍港・インドへの接近)、中央アジアの綿花資源の獲得、「文明化の使命」という建前
- 1865年:タシュケント占領。以後10年で中央アジアのほぼ全域を征服
- 鉄道建設(ザカスピー鉄道など):経済支配の基盤整備と軍事力投射の拡大
- ロシア人入植者の流入:コサック兵・農民が大量移住し、現地住民との軋轢が生じた
📘 重要事項
1916年中央アジア反乱:第一次世界大戦中、ロシアが中央アジア住民に対して軍役(労役徴発)を課そうとしたことへの反発から大規模な反乱(フルガン蜂起)が勃発。ロシア軍による鎮圧は大量虐殺を伴い、多数の住民がアフガニスタン・中国へ逃亡した。現代の中央アジア各国でこの反乱は民族意識の象徴とされる。
1916年中央アジア反乱:第一次世界大戦中、ロシアが中央アジア住民に対して軍役(労役徴発)を課そうとしたことへの反発から大規模な反乱(フルガン蜂起)が勃発。ロシア軍による鎮圧は大量虐殺を伴い、多数の住民がアフガニスタン・中国へ逃亡した。現代の中央アジア各国でこの反乱は民族意識の象徴とされる。
ジャディード運動
ロシア支配下で、イスラーム改革・近代化を求めるジャディード(改革派)運動が起きました。ジャディードは西洋の教育・科学をイスラームと両立させようとした知識人層で、後のソ連時代の民族意識形成にも影響を与えました。
練習
- ロシアに征服された中央アジアの3つのハン国の名前を挙げ、それぞれが最終的にどうなったか答えなさい。
- ロシアが中央アジアへ進出した主な動機を3点挙げなさい。
- ジャディード運動とはどのような運動か説明しなさい。