ソ連時代の中央アジア
1920年代にソヴィエト連邦に組み込まれた中央アジアは、以後70年間にわたって共産主義体制のもとで大きく変容しました。民族共和国の設置・農業の集団化・大規模な綿花栽培化・ロシア語の普及など、現在の中央アジアの姿を決定づけた変化が起きました。
ソ連による「民族区画」
- 1924〜36年:ソ連は中央アジアをカザフ・キルギス・ウズベク・トルクメン・タジクの5つの共和国に分割
- 「分割統治」:民族・言語の境界を意図的に曖昧に引き、民族間の対立を利用して反ソ統一運動を防ぐ狙いがあったと分析される
- サマルカンド・ブハラ(ウズベク語都市)をタジキスタンでなくウズベキスタンに組み込むなど、歴史的民族分布と一致しない境界が多い
綿花栽培とアラル海の悲劇
- ソ連はウズベキスタン・トルクメニスタンの大規模灌漑でモノカルチャー(綿花単作)を強制
- アム川・シル川から大量取水→アラル海(カスピ海に次ぐ世界4位の湖)が急速に縮小
- 1960年代〜2000年代:アラル海の面積が当初の10分の1以下に激減。「20世紀最大の環境破壊」と呼ばれる
- 塩分濃縮・農薬汚染・砂漠化・漁業消滅・健康被害が周辺住民を直撃
📘 重要事項
アラル海縮小の現況:カザフスタン側(北アラル海)はコカラル堤防の建設(2005年)で水位回復が進んでいる一方、ウズベキスタン側(南アラル海)はほぼ干上がり「アラル砂漠」となった。かつての湖底が塩と農薬まみれの砂漠になり、旧漁港の港は内陸砂漠に取り残された船が点在するだけとなっている。
アラル海縮小の現況:カザフスタン側(北アラル海)はコカラル堤防の建設(2005年)で水位回復が進んでいる一方、ウズベキスタン側(南アラル海)はほぼ干上がり「アラル砂漠」となった。かつての湖底が塩と農薬まみれの砂漠になり、旧漁港の港は内陸砂漠に取り残された船が点在するだけとなっている。
強制移住と民族混合
スターリン時代(1930〜50年代)には、朝鮮人(高麗人)・チェチェン人・クリミア・タタール人など「信頼できない民族」が中央アジアへ強制移住させられました。これが現在の中央アジア各国の民族構成の複雑さの一因となっています。
練習
- ソ連が中央アジアを5つの共和国に分割した政治的意図を答えなさい。
- アラル海縮小の原因と、それが引き起こした環境・社会問題を説明しなさい。
- スターリン時代に中央アジアへ強制移住させられた民族の例を2つ挙げなさい。