近現代 / 国民国家とナショナリズムの時代 4 / 6

ドイツの統一

ドイツの統一

「鉄と血」という言葉で知られるプロイセンの宰相ビスマルクは、武力によってドイツを統一しました。その過程でヨーロッパの勢力地図は大きく塗り替えられます。

ビスマルクと鉄血政策

プロイセン王国の宰相ビスマルク(オットー・フォン・ビスマルク)は1862年に就任し、議会の反対を押し切って軍備拡張を推進しました。「現在の大問題は演説や多数決で解決されるのではなく、鉄と血によってのみ解決される」という演説から鉄血政策と呼ばれます。ビスマルクは外交と戦争を巧みに使い、3段階でドイツを統一します。1864年にオーストリアと共同でデンマークと戦いシュレスヴィヒ=ホルシュタインを獲得、1866年にそのオーストリアとプロイセン=オーストリア戦争(普墺戦争)を起こしてわずか7週間で勝利し、オーストリアをドイツ統一から排除しました(ドイツ連邦解体)。

📘 ドイツ統一の3戦争
1864年:対デンマーク戦争(プロイセン・オーストリア共同)→シュレスヴィヒ=ホルシュタイン獲得
1866年:普墺戦争(プロイセン vs オーストリア)→7週間で勝利、北ドイツ連邦結成
1870-71年:普仏戦争(プロイセン vs フランス)→ナポレオン3世捕虜、アルザス=ロレーヌ獲得
1871年1月18日:ヴェルサイユ宮殿でドイツ帝国成立(ヴィルヘルム1世皇帝即位)

普仏戦争とドイツ帝国成立

1870年、ビスマルクは外交上の謀略(エムス電報事件)でフランスを挑発して開戦させます。プロイセン=フランス戦争(普仏戦争)ナポレオン3世が捕虜になり第二帝政が崩壊。フランスはアルザス=ロレーヌ(鉄鉱石産地)を割譲し多額の賠償金を支払います。1871年1月18日、かつてルイ14世の栄光の宮殿であったヴェルサイユ宮殿の鏡の間でプロイセン王ヴィルヘルム1世がドイツ皇帝に即位し、ドイツ帝国が成立しました。フランス本土での戴冠式はフランス国民を深く屈辱し、後の第一次世界大戦の遠因となります。

練習

  1. 「鉄血政策」で知られるプロイセンの宰相は誰か。
  2. 1866年のプロイセン=オーストリア戦争の別名を答えよ。
  3. ドイツ帝国が成立した日付と場所を答えよ。
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