近現代 / アジア・アフリカの独立と現代の課題 4 / 6

第三世界と非同盟

第三世界と非同盟

冷戦期、米ソどちらの陣営にも属さない「第三世界」の国々が結集し、独自の外交路線を打ち出しました。バンドン会議はその象徴的な出来事です。

バンドン会議と「第三世界」の誕生

1955年4月18日、インドネシアのバンドンでアジア・アフリカ29か国の代表が集まりアジア・アフリカ会議(バンドン会議)が開かれました。主催はインドネシアのスカルノ、参加の中心はインドのネルー(非同盟の提唱者)、エジプトのナセル、中国の周恩来らです。会議は平和十原則を採択し、植民地主義の排除・民族自決・平和共存を宣言しました。この会議は米ソ超大国のどちらにも属さない「第三勢力」の存在を世界に示しました。

📘 第三世界・非同盟の枠組み
1955年:バンドン会議(アジア・アフリカ29か国、平和十原則採択)
1961年非同盟諸国首脳会議(ベオグラード、25か国)——ユーゴスラビアのチトー・インドのネルー・エジプトのナセルが主導
1964年国連貿易開発会議(UNCTAD)設立——南北問題を議論する場
1973年石油危機——資源ナショナリズムが第三世界の発言力を高める

南北問題と依存関係

南北問題」とは、北半球に集中する先進工業国(豊かな「北」)と南半球に多い発展途上国(貧しい「南」)の経済格差の問題です。植民地時代に形成されたモノカルチャー経済(特定の一次産品への依存)が独立後も続き、コーヒー・コカカイコ・石油・銅などの一次産品価格の変動に国家経済が左右される構造が残りました。UNCTAD(国連貿易開発会議、1964年設立、初代事務局長プレビッシュ)は先進国への特恵関税や資源の永久主権を訴えました。1970年代には新国際経済秩序(NIEO)の樹立を国連総会で決議しましたが、実現は限定的でした。

練習

  1. 1955年にインドネシアで開かれたアジア・アフリカ会議の別名を答えよ。また採択された原則の名称は。
  2. 南北問題とは何か、30字以内で説明せよ。
  3. 1964年に設立された、南北問題を議論する国連機関の略称は。
🔒

続きは無料アカウントで読めます

このレッスンの続きと、AIに教えて学ぶ機能が使えます。登録は無料です。

無料でアカウントを作る ログイン

このレッスンのQ&A

読み込み中...