正統カリフ時代とアラブの征服
632年にムハンマドが死去すると、後継者問題が生じました。ムスリム共同体はカリフ(預言者の代理)を選出し、わずか数十年でビザンツ・ササン朝の領域を次々と征服しました。
正統カリフの選出
- アブー=バクル(第1代):ムハンマドの岳父。632〜634年。離反部族を再統合
- ウマル(第2代):634〜644年。シリア・エジプト・イラク・イランを征服
- ウスマーン(第3代):644〜656年。クルアーンの定本化。656年に暗殺
- アリー(第4代):656〜661年。ムハンマドの従兄弟・娘婿。内紛の末暗殺→スンナ派とシーア派の分裂の契機
ジハードと急速な拡大
「ジハード(努力・奮闘)」は本来は自己修養を指しますが、この時代は軍事的拡張の動力にもなりました。アラブ軍が勝利した理由として:
- ビザンツとササン朝の長期消耗戦で両国が弱体化
- ジズヤ(人頭税)を払えば異教徒も保護民(ズィンミー)として認める柔軟政策
- 戦利品の分配制度がアラブ戦士を動機付け
📘 例題①
スンナ派とシーア派が分裂した直接的なきっかけを説明しなさい。
解答:第4代カリフ・アリーの暗殺後、カリフはムハンマドの血統(アリーの子孫)でなければならないと主張するグループ(シーア派)と、慣行(スンナ)に基づき選出された指導者を認めるグループ(スンナ派)に分裂した。さらに680年のカルバラーの戦いでアリーの子フサインが殺害されたことが決定的な分裂点となった。
スンナ派とシーア派が分裂した直接的なきっかけを説明しなさい。
解答:第4代カリフ・アリーの暗殺後、カリフはムハンマドの血統(アリーの子孫)でなければならないと主張するグループ(シーア派)と、慣行(スンナ)に基づき選出された指導者を認めるグループ(スンナ派)に分裂した。さらに680年のカルバラーの戦いでアリーの子フサインが殺害されたことが決定的な分裂点となった。
📘 例題②
「保護民(ズィンミー)」制度を説明しなさい。
解答:イスラーム支配下で、ユダヤ教・キリスト教などの「啓典の民」は、ジズヤ(人頭税)を納めることで信仰・財産・生命の保護を受けた。改宗強制は基本的に行われず、これが征服地住民の比較的早期な受容につながった。
「保護民(ズィンミー)」制度を説明しなさい。
解答:イスラーム支配下で、ユダヤ教・キリスト教などの「啓典の民」は、ジズヤ(人頭税)を納めることで信仰・財産・生命の保護を受けた。改宗強制は基本的に行われず、これが征服地住民の比較的早期な受容につながった。
💡 ポイント
- 正統カリフ時代(632〜661)に中東・北アフリカ・イランを征服
- ジズヤ(人頭税)+保護民制度が征服地の統治を安定化
- アリー暗殺→スンナ派とシーア派の分裂の原点
- ウスマーンがクルアーンを定本化(定本ウスマーン本)
練習問題
- 正統カリフを選出順に4人答えなさい。
- 征服地の異教徒に課された税の名前と、その代わりに与えられた地位を答えなさい。
- シーア派の語源と、その主張の核心を簡潔に説明しなさい。
解答・解説
- 解答:アブー=バクル→ウマル→ウスマーン→アリー
解説:この4人の時代(632〜661年)を正統カリフ時代という。 - 解答:ジズヤ(人頭税)、保護民(ズィンミー)
解説:「啓典の民」に適用された。ムスリムは異なる税(ザカート)を負担。 - 解答:語源は「シーアト・アリー(アリーの党派)」。指導者はムハンマドの血統でなければならないと主張する。
解説:現在イランや南イラクに多い。