古墳の出現と前方後円墳
3世紀後半、日本列島に巨大な墓「古墳」が出現します。これは強力な王権の登場を象徴する画期的な出来事でした。古墳時代の始まりを見ていきましょう。
基本知識
古墳時代は、3世紀後半〜7世紀ごろまでの約400年間の時代です。古墳とは支配者の墓で、特に前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)が日本独自の墓制として発達しました。
古墳の形状にはいくつかの種類があります:
・前方後円墳: 鍵穴のような形、最も格式が高い
・円墳: 円形の古墳
・方墳: 四角形の古墳
・前方後方墳: 前方部と後方部が四角
・帆立貝形古墳: 前方部が短いもの
古墳時代は時期区分があり、前期(3世紀後半〜4世紀)、中期(5世紀)、後期(6〜7世紀)に分かれます。前期から中期にかけて古墳は巨大化し、5世紀の大阪府堺市の大仙陵古墳(仁徳天皇陵)は墳丘長486mで日本最大、世界最大級です。
箸墓古墳(奈良) 3世紀後半、最古級の前方後円墳、卑弥呼の墓候補
大仙陵古墳(大阪・堺) 5世紀、墳丘長486m、仁徳天皇陵、日本最大
誉田御廟山古墳(大阪・羽曳野) 5世紀、墳丘長425m、応神天皇陵
高松塚古墳(奈良) 7世紀末、極彩色壁画で有名
キトラ古墳(奈良) 7世紀末、四神図・天文図
百舌鳥・古市古墳群 2019年世界遺産登録(大阪府)
深掘り (背景・影響)
古墳の出現は、強力な王権の登場を意味します。なぜなら、巨大な墓を作るには膨大な労働力と統制力が必要だからです。大仙陵古墳の建設には15年以上の歳月と1日2,000人の労働力が必要だったと試算されています。これだけの人を動員できる王の権力は絶大だったはずです。
前方後円墳は、近畿地方を中心に、北は東北南部から南は九州南部まで全国に分布しています。これは前方後円墳という「同じ形式の墓」を作ることが、ヤマト政権との同盟関係を示す印だったためと考えられています。
古墳の表面には埴輪(はにわ)が並べられました。埴輪は土製の素焼きの像で、円筒埴輪(一番多い)と形象埴輪(人・馬・家・船など)があります。これは死者の魂を守り、生前の生活を再現する役割があったと考えられます。
2019年、大阪府の「百舌鳥・古市古墳群」が世界遺産に登録されました。これには大仙陵古墳をはじめ49の古墳が含まれます。
- 古墳時代 = 3世紀後半〜7世紀の約400年間
- 前方後円墳 = 鍵穴型、最も格式高い日本独自の墓制
- 大仙陵古墳(大阪・堺、仁徳天皇陵)= 墳丘長486m、日本最大
- 箸墓古墳(奈良)= 最古級、卑弥呼の墓候補
- 埴輪 = 古墳の表面に並べられた土製の像
- 円筒埴輪と形象埴輪(人・馬・家・船)
- 2019年: 百舌鳥・古市古墳群が世界遺産登録
注意点 (混同しやすい)
① 大仙陵古墳と仁徳天皇陵は同じもの。「大山古墳」「大仙古墳」「仁徳陵」など色々な呼び方がある。② 前方後円墳の「前方」は四角い方、「後円」は円い方。前後の感覚と逆ではない(鍵穴のお皿側が後円部)。③ 「埴輪」(古墳時代)と「土偶」(縄文時代)を絶対に混同しない。④ 古墳の被葬者を「天皇」と特定するのは難しい。大仙陵古墳=仁徳天皇陵は宮内庁見解で、考古学的には未確定。⑤ 古墳時代の終わりは「大化の改新」(646年薄葬令)が一つの区切り。
練習
- 日本最大の古墳の名前と所在地・墳丘長を答えよ。
- 古墳の表面に並べられた土製の像を何と呼ぶか。
- 2019年に世界遺産に登録された大阪府の古墳群の名前を答えよ。