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ヤマト政権の成立と発展

ヤマト政権の成立と発展

古墳時代に近畿地方を中心として成立したヤマト政権は、徐々に各地の豪族を服属させ、日本列島を統一していきました。この政権の構造と発展を見ていきましょう。

基本知識

ヤマト政権(大和王権)は、3世紀後半〜4世紀ごろに奈良盆地(大和地方)を中心に成立した連合政権です。中心となる王を大王(おおきみ)と呼び、後の天皇の原型となります。
ヤマト政権の中心地は奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡とされ、最古級の前方後円墳である箸墓古墳もここにあります。
ヤマト政権の支配体制:
氏姓制度(うじかばねせいど): 豪族を「氏」(うじ・血縁集団)に組織し、「姓」(かばね・身分)を与えて秩序づける
の例: 臣(おみ)、連(むらじ)、伴造(とものみやつこ)、国造(くにのみやつこ)、県主(あがたぬし)
・各地の豪族を国造(くにのみやつこ)として任命し、地方支配
・前方後円墳の形式を全国に広め、同盟関係を象徴

📘 ヤマト政権の構造
大王(おおきみ) ヤマト政権の最高権力者、後の天皇
氏(うじ) 血縁を中心とした豪族集団(蘇我氏・物部氏・大伴氏)
姓(かばね) 氏に与えられる身分・職務名
臣(おみ) 大和の有力豪族(蘇我氏・葛城氏)
連(むらじ) 政権の重要職務担当(大伴氏・物部氏)
国造(くにのみやつこ) 地方の豪族出身の地方官
部(べ) 専門職業集団(鍛冶部・土師部など)

深掘り (背景・影響)

ヤマト政権は、最初から強力な中央集権国家だったわけではありません。各地の豪族の連合体として始まり、徐々に大王の権力が強まっていきました。
5世紀には、中国の歴史書『宋書』倭国伝に登場する倭の五王(讃・珍・済・興・武)が中国の宋に使者を送り、「安東大将軍倭国王」などの称号を得ています。「武」は雄略天皇(ワカタケル大王)と考えられ、埼玉県稲荷山古墳出土の鉄剣銘文と熊本県江田船山古墳出土の鉄刀銘文に「ワカタケル大王」の名が刻まれていることから、5世紀後半にはヤマト政権の支配が東国(埼玉)から九州(熊本)まで広がっていたことが分かります。
ヤマト政権の支配の仕組みである氏姓制度は、血縁と職務を組み合わせた社会秩序で、後の律令制度の前身となります。豪族たちは特定の職務(祭祀・軍事・行政など)を世襲し、その対価として土地と民を支配する権利を得たのです。
また、ヤマト政権は部(べ)と呼ばれる職業集団を組織し、鍛冶・土器・漁業・狩猟・農業など各種の専門職を世襲させました。これにより政権は様々な物資を安定的に確保できました。

💡 ポイント
  • ヤマト政権 = 3世紀後半〜、奈良中心の連合政権
  • 大王(おおきみ)= 後の天皇の原型
  • 氏姓制度 = 氏(血縁集団)と姓(身分)で秩序化
  • 主な姓: 臣(おみ)・連(むらじ)・伴造・国造・県主
  • 主な氏: 蘇我氏・物部氏・大伴氏(中央豪族)
  • 倭の五王(讃・珍・済・興・武)= 5世紀の大王
  • 「武」= 雄略天皇(ワカタケル大王)= 稲荷山鉄剣銘

注意点 (混同しやすい)

① 「ヤマト政権」「大和王権」「ヤマト王権」は同じものを指す。教科書によって表記が違う。② 「大王(おおきみ)」と「天皇」は厳密には別物。天皇号は7世紀後半(天武天皇期)からとされる。③ 「氏(うじ)」と「姓(かばね)」を混同しない。氏=血縁集団、姓=身分。④ 倭の五王と日本書紀の天皇の対応は諸説あり、「武 = 雄略天皇」は最有力。⑤ 稲荷山古墳は埼玉県、江田船山古墳は熊本県。県名を覚える。

練習

  1. ヤマト政権の最高権力者の呼称を答えよ。
  2. 氏姓制度の「氏」と「姓」の違いを説明せよ。
  3. 埼玉県稲荷山古墳の鉄剣に刻まれた大王の名前を答えよ。

このレッスンのQ&A

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