日本 / 鎌倉時代 1 / 6

鎌倉幕府の成立

鎌倉幕府の成立

平安末期、武士の力が貴族をしのぎ、ついに武家政権が誕生します。源平の戦いを制した源頼朝が、関東を拠点に日本初の本格的な武士政権「鎌倉幕府」を開きました。

基本知識

1180年、平氏の横暴に対し源頼朝が伊豆で挙兵し、各地で源氏が立ち上がりました。源義経は壇ノ浦の戦い(1185年)で平氏を滅ぼし、頼朝は1185年に守護・地頭を全国に設置する権利を朝廷から獲得。1192年には征夷大将軍に任命され、名実ともに幕府が成立しました。
幕府の組織は、中央に侍所・政所・問注所、地方に守護(国ごとに軍事・警察)と地頭(荘園・公領ごとに年貢徴収)を置きました。御家人(将軍と主従関係を結んだ武士)は「御恩と奉公」の関係で結ばれ、将軍が領地を保障する代わりに、御家人は戦時に従軍する義務を負いました。

📘 鎌倉幕府成立までの年表
1180年 源頼朝が伊豆で挙兵
1185年 壇ノ浦の戦いで平氏滅亡、守護・地頭の設置
1189年 奥州藤原氏を滅ぼす(源義経も自害)
1192年 源頼朝が征夷大将軍に任命される
1199年 源頼朝の死去

深掘り (背景・影響)

なぜ鎌倉に幕府を置いたのか。鎌倉は三方を山に囲まれ、一方が海という天然の要害であり、軍事拠点に最適でした。また、朝廷のある京都から離れることで、貴族文化の影響を受けず独自の武士政権を築けました。
「いい国(1192)つくろう鎌倉幕府」という語呂が有名ですが、近年は1185年(守護・地頭設置)を成立年とする説が有力です。理由は、この時点で頼朝が全国に支配権を及ぼす制度的基盤を得たためです。

💡 ポイント
  • 1185年=守護・地頭設置(鎌倉幕府の実質的成立年)
  • 1192年=源頼朝が征夷大将軍に任命される
  • 守護=国ごとの軍事・警察、地頭=荘園・公領ごとの年貢徴収
  • 御家人と将軍の関係=「御恩と奉公」
  • 中央機関=侍所・政所・問注所の3つ
  • 壇ノ浦の戦い(1185年)=平氏滅亡の地、現在の山口県
  • 源義経は兄頼朝に追われ、奥州藤原氏を頼ったが自害

注意点 (混同しやすい)

守護と地頭を混同しない。守護=国単位の軍事担当、地頭=荘園・公領単位の年貢徴収担当。
源頼朝と源義経は兄弟だが、頼朝が幕府を開き、義経は壇ノ浦の英雄でも最後は兄に追われた。
③ 「いい箱(1185)つくろう鎌倉幕府」が現在の主流の覚え方。1192年は征夷大将軍任命の年。
奥州藤原氏は平泉(岩手県)を拠点にした豪族で、源義経をかくまったため頼朝に滅ぼされた。藤原氏(摂関家)とは別系統。

練習

  1. 源頼朝が征夷大将軍に任命されたのは何年か。
  2. 守護と地頭の役割の違いを説明せよ。
  3. 将軍と御家人の主従関係を表す言葉を答えよ。

このレッスンのQ&A

読み込み中...