日本 / 室町時代 5 / 6

室町幕府の終焉と下剋上

室町幕府の終焉と下剋上

応仁の乱後、室町幕府は名目だけの存在となり、各地で下剋上の風潮が広がります。守護大名は没落し、戦国大名が台頭する時代の幕開けです。

基本知識

応仁の乱後、9代足利義尚(義政の子、近江出陣中に病死)、10代足利義稙(よしたね)(義視の子)、11代足利義澄と将軍がめまぐるしく交代。実権は管領細川政元、その後細川高国・晴元、さらに細川家の家臣三好長慶(みよしながよし)、その家臣松永久秀へと、下へ下へと移っていきました。これがまさに下剋上です。
1493年、細川政元が10代義稙を追放した明応の政変は、「もう一つの応仁の乱」とも呼ばれる重要事件で、将軍の権威が完全に失墜した出来事でした。
地方では、守護大名が次々と没落し、代わって戦国大名が台頭しました。代表例:
・関東:後北条氏(北条早雲が伊豆を奪取、1493年頃)
・甲斐:武田氏(武田信玄)
・越後:長尾氏→上杉氏(上杉謙信)
・尾張:織田氏(後の織田信長)
・中国地方:毛利氏(毛利元就が陶氏を破る)
・九州:島津氏・大友氏・龍造寺氏
1543年、種子島に鉄砲がポルトガル人によって伝来。1549年、宣教師フランシスコ=ザビエルが鹿児島に上陸しキリスト教を伝えました。これが戦国の様相を一変させます。
1573年、織田信長が15代将軍足利義昭を京都から追放し、室町幕府は事実上滅亡しました。

📘 室町終焉までの年表
1485年 山城国一揆
1488年 加賀の一向一揆
1493年 明応の政変、北条早雲が伊豆を奪取
1543年 鉄砲伝来(種子島)
1549年 ザビエル来日、キリスト教伝来
1573年 織田信長が足利義昭追放=室町幕府滅亡

深掘り (背景・影響)

下剋上とは「下の者が上の者を倒して取って代わる」風潮で、応仁の乱以降の時代を象徴する言葉です。具体例として、
陶晴賢(すえはるかた):周防の大内義隆を倒して国を奪うが、毛利元就に倒される
斎藤道三:美濃で土岐氏を追放(「美濃の蝮(まむし)」)
北条早雲:小田原の北条氏の祖、関東に台頭
松永久秀:三好家の家臣から大和を支配、信長に滅ぼされる
などがあります。
戦国大名は、家臣団に分国法(家法)を定めて領国を統治。武田信玄『甲州法度之次第』長宗我部氏『長宗我部元親百箇条』朝倉氏『朝倉孝景条々』今川氏『今川仮名目録』伊達氏『塵芥集』などが有名です。
分国法には喧嘩両成敗(争いがあれば両者を処罰)などの厳しい規定が含まれ、家臣の私的争いを抑え込みました。

💡 ポイント
  • 下剋上=下の者が上の者を倒す風潮、戦国の代名詞
  • 1493年=明応の政変、将軍権威の完全失墜
  • 1543年=鉄砲伝来、種子島、ポルトガル人
  • 1549年=キリスト教伝来、ザビエル、鹿児島
  • 1573年=室町幕府滅亡、織田信長が足利義昭追放
  • 北条早雲=後北条氏の祖、伊豆奪取
  • 分国法=戦国大名の領国統治法、喧嘩両成敗など

注意点 (混同しやすい)

守護大名(室町幕府の守護が領国支配を強めた)と戦国大名(下剋上で領国を奪った新興勢力)を区別。両者は連続するが性格が異なる。
北条早雲(後北条氏の祖)と、鎌倉時代の北条氏(執権)は別系統。早雲は伊勢氏の出身。
15代足利義昭(室町最後の将軍)は信長に追放されたが、信長の死後も毛利氏のもとで将軍を称し続け、形式的には1588年まで将軍であった。
鉄砲伝来(1543)キリスト教伝来(1549)の年号と順序を確実に。「以後よさん(1543)、以後よく(1549)」など語呂で。

練習

  1. 室町幕府を事実上滅亡させた人物と、最後の将軍の名前を答えよ。
  2. 鉄砲が伝来した年と場所を答えよ。
  3. 「下剋上」という風潮の意味を簡潔に説明せよ。
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