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戦国大名の登場

戦国大名の登場

応仁の乱後の混乱の中、各地で実力主義の戦国大名が登場します。彼らは家柄ではなく実力で領国を勝ち取り、独自の支配体制を築き上げました。

基本知識

戦国大名の出自は多様で、以下のように分類できます。
守護大名から戦国大名へ転身:今川氏(駿河)、武田氏(甲斐)、大友氏(豊後)、島津氏(薩摩)
守護代から下剋上:朝倉氏(越前で斯波氏を追放)、織田氏(尾張)、長尾氏→上杉謙信(越後)
国人(地侍)から成長:毛利氏(安芸)、長宗我部氏(土佐)、龍造寺氏(肥前)
低い身分から成り上がり:北条早雲(伊豆・相模)、斎藤道三(美濃)
各地の主な戦国大名:
奥羽:伊達政宗(陸奥)
関東:後北条氏(早雲・氏綱・氏康・氏政・氏直)、上杉氏(山内・扇谷)
中部:武田信玄(甲斐)、上杉謙信(越後)、今川義元(駿河・遠江・三河)
東海:織田信長(尾張)、徳川家康(三河)
畿内:三好長慶、松永久秀
中国:毛利元就(安芸)、尼子氏(出雲)
四国:長宗我部元親(土佐)
九州:大友宗麟(豊後)、島津義久(薩摩)、龍造寺隆信(肥前)

📘 主要戦国大名と本拠地
伊達政宗 奥羽(米沢→仙台)
北条早雲〜氏康 関東(小田原)
武田信玄 甲斐(躑躅ヶ崎館)
上杉謙信 越後(春日山)
織田信長 尾張(清洲→岐阜)
毛利元就 安芸(吉田郡山)
島津義久 薩摩(鹿児島)

深掘り (背景・影響)

戦国大名は、領国を「分国(ぶんこく)」と呼び、独立国家のように統治しました。彼らの強さの源は次の点にあります。
軍事力:足軽(歩兵)中心の集団戦法、鉄砲の導入
経済力:鉱山開発(石見銀山、佐渡金山など)、楽市楽座(後の信長)、商業の保護
家臣団統制:寄親寄子制(よりおやよりこせい)(有力家臣に与力を組ませる)、貫高制(かんだかせい)(銭で領地を測る)、分国法
武田信玄は「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」という名言で知られ、家臣団の結束を重視しました。
上杉謙信は「義の人」と呼ばれ、関東の北条氏に攻められた山内上杉憲政を救うために何度も関東に出兵しました。
毛利元就は「三本の矢」の教え(3人の息子に矢を1本ずつ折らせ、次に3本まとめて折らせて団結の重要性を教えた逸話)で知られます。

💡 ポイント
  • 戦国大名の出自=守護出身/守護代/国人/成り上がり
  • 北条早雲=後北条氏の祖、伊豆・相模を奪取
  • 武田信玄=甲斐、「風林火山」の旗印
  • 上杉謙信=越後、武田信玄と川中島で5度戦う
  • 毛利元就=安芸、三本の矢の教え、大内・尼子を倒す
  • 分国(ぶんこく)=戦国大名の領国、独立国家のよう
  • 寄親寄子制=家臣団の組織原理
  • 貫高制=銭で領地の規模を測る

注意点 (混同しやすい)

北条早雲(後北条氏の祖、戦国時代)と、鎌倉時代の北条氏(執権政治)は別系統で全く関係ない。
武田信玄(甲斐の虎)と上杉謙信(越後の龍)はライバルで、川中島の戦い(1553-1564年、5回)が有名。決定的勝敗はつかなかった。
毛利元就(戦国期)と毛利輝元(関ヶ原の西軍総大将、元就の孫)を区別。
島津氏(薩摩)、大友氏(豊後)、龍造寺氏(肥前)は九州の三大勢力。九州はこの3つ。

練習

  1. 「下剋上」の代表例として、後北条氏の祖となった人物の名前を答えよ。
  2. 甲斐の戦国大名・武田信玄と、越後の戦国大名・上杉謙信が何度も戦った戦いの場所を答えよ。
  3. 「三本の矢」の逸話で知られる、安芸の戦国大名の名前を答えよ。

このレッスンのQ&A

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