分国法と城下町
戦国大名は独立した国家のように領国を治めるため、独自の法律分国法を定め、政治・経済の拠点として城下町を発展させました。
基本知識
分国法(家法・家訓・国法)は、戦国大名が領国統治のために定めた法律です。鎌倉幕府の御成敗式目を参考にしつつ、より厳しい家臣統制を目的としました。代表的なもの:
・『塵芥集(じんかいしゅう)』:伊達氏(伊達稙宗)、171条で最大規模
・『甲州法度之次第』:武田氏(武田信玄)、別名『信玄家法』、55条
・『今川仮名目録』:今川氏(今川氏親)、33条+追加21条(義元による)
・『朝倉孝景条々』:朝倉氏、17条
・『長宗我部元親百箇条』:長宗我部氏、100条
・『塵芥集』『甲州法度之次第』『今川仮名目録』などは特に頻出
分国法に共通する特徴は、
① 喧嘩両成敗(家臣同士の私闘を厳禁、両者を処罰)
② 家臣の所領売買禁止(家臣団の経済基盤を維持)
③ 大名の許可なき結婚禁止(家臣団同士の勝手な縁組を防ぐ)
④ 連帯責任(家臣の犯罪は同族・近隣も連帯責任)
などです。
城下町は、戦国大名の居城を中心に家臣・商工業者を集めて作った計画都市。山城から平地の平山城(ひらやまじろ)・平城へと立地が変わり、家臣を城下に集住させ、農村との分離を進めました(後の兵農分離の先駆け)。代表例:小田原(北条)、府中(駿河)、春日山(上杉)、岐阜(信長)、山口(大内)、一乗谷(朝倉)。
塵芥集 伊達氏(伊達稙宗)、171条
甲州法度之次第 武田氏(武田信玄)、55条
今川仮名目録 今川氏(氏親→義元)
朝倉孝景条々 朝倉氏、17条
長宗我部元親百箇条 長宗我部氏、100条
深掘り (背景・影響)
分国法の喧嘩両成敗は革命的な規定でした。それまでの社会では「目には目を、歯には歯を」の自力救済が当たり前でしたが、これを大名が一方的に禁じ、争いの裁定を独占しました。これにより、家臣団の私闘を抑え込み、大名権力を強化したのです。後の江戸時代の喧嘩両成敗にもつながります。
城下町は都市計画の先駆でした。武家屋敷区域、商人町、職人町、寺町などゾーニングされ、街路も格子状に整備されました。一乗谷(朝倉氏)、躑躅ヶ崎(武田氏)、春日山(上杉氏)などの遺跡からは当時の都市構造がわかります。
城下町に集まった商人・職人は、後の近世商業の担い手となります。とくに堺(自治都市、納屋衆と呼ばれる豪商が支配、千利休もここの出身)、博多(海外貿易の拠点)、京都(町衆が祇園祭を復興)などの都市は、戦乱の中でも繁栄しました。
- 分国法=戦国大名の領国法律、御成敗式目の発展
- 塵芥集=伊達氏、171条で最大
- 甲州法度之次第=武田信玄
- 今川仮名目録=今川氏、桶狭間直前まで使用
- 喧嘩両成敗=分国法共通の規定、私闘の禁止
- 城下町=戦国大名の居城を中心とする計画都市
- 堺=自治都市、納屋衆、千利休の出身地
- 博多=海外貿易拠点、京都=町衆が祇園祭復興
注意点 (混同しやすい)
① 御成敗式目(鎌倉)と分国法(戦国)を区別。両者は連続するが時代と適用範囲が違う。
② 塵芥集(伊達稙宗)と甲州法度之次第(武田信玄)を取り違えない。語呂「塵=伊達(達はだてだから塵がたまる)」「甲州=甲斐=武田」。
③ 城下町(戦国・近世)と門前町(寺社の前にできた町)、港町(博多・堺など)、宿場町(後の江戸時代)は別概念。
④ 堺の納屋衆=町を自治した豪商。「天下の台所」と呼ばれる前の堺は、戦国期に世界有数の都市だった。
練習
- 武田信玄が定めた分国法の名前を答えよ。
- 分国法に共通して見られる、家臣の私闘を禁じる規定の名前を答えよ。
- 戦国時代に納屋衆と呼ばれる豪商が自治した自由都市の名前を答えよ。