第一次世界大戦と日本
1914年、ヨーロッパで大戦争が勃発しました。日本はこれを契機に経済発展と国際的地位の向上を果たしますが、新たな問題も生まれます。
基本知識
1914年6月、サラエボ事件(オーストリア皇太子夫妻暗殺)をきっかけに第一次世界大戦が勃発。日本は日英同盟を口実に連合国側で参戦し、ドイツ領の山東半島(青島)や南洋諸島を占領しました。1915年、中国(中華民国・袁世凱政権)に対し二十一か条の要求を突きつけ、山東省の権益や旅順・大連の租借期限延長を強引に認めさせます。これは中国国民の強い反発を招き、後の五・四運動(1919)につながりました。
📘 第一次大戦の年表
1914年 サラエボ事件、大戦勃発、日本参戦
1915年 二十一か条の要求
1917年 ロシア革命、アメリカ参戦
1918年 大戦終結、シベリア出兵、米騒動
1919年 ヴェルサイユ条約、五・四運動、三・一独立運動
1920年 国際連盟発足(日本は常任理事国)
1914年 サラエボ事件、大戦勃発、日本参戦
1915年 二十一か条の要求
1917年 ロシア革命、アメリカ参戦
1918年 大戦終結、シベリア出兵、米騒動
1919年 ヴェルサイユ条約、五・四運動、三・一独立運動
1920年 国際連盟発足(日本は常任理事国)
深掘り (背景・影響)
大戦中、ヨーロッパの輸出が止まり、日本はアジア市場を独占して大戦景気を迎えました。重化学工業が発展し、成金と呼ばれる新興富裕層が登場。しかし急激な物価上昇で庶民の生活は苦しくなり、1918年にはシベリア出兵(対ソ干渉戦争)を見越した米の買い占めで米価が高騰、富山県の主婦から始まった米騒動が全国に拡大しました。これを鎮圧できなかった寺内正毅内閣は退陣し、原敬による日本初の本格的政党内閣(立憲政友会)が誕生します。原は「平民宰相」と呼ばれました。
💡 ポイント
- 大戦勃発=1914年サラエボ事件
- 日本は日英同盟を口実に連合国側参戦
- 二十一か条の要求(1915)=対中国・山東半島の権益
- 大戦景気=成金・輸出ブーム
- 米騒動(1918)=富山県発、シベリア出兵が引き金
- 原敬=初の本格的政党内閣・平民宰相(1918組閣)
注意点 (混同しやすい)
① サラエボ事件(1914・第一次大戦の引き金)と満州事変(1931)・盧溝橋事件(1937)は別物。② 日本は連合国側で参戦したのであって、ドイツ・オーストリアの同盟国側ではない。③ 米騒動(1918)と関東大震災(1923)は混同しやすいが、米騒動は物価問題、震災は天災。④ 原敬(平民宰相、暗殺された日本初の本格政党内閣)と伊藤博文(初代首相、ハルビンで暗殺)を区別。
練習
- 第一次世界大戦の引き金となった1914年の事件は。
- 1915年に日本が中国に突きつけた要求の名称は。
- 1918年に組閣した日本初の本格的政党内閣の首相は誰か。