大正デモクラシーと政党政治
大正時代は政党政治・普通選挙・社会運動が花開いた「デモクラシー」の時代。同時に治安維持法という抑圧も生まれた両面性をもつ時代です。
基本知識
1912年、桂太郎内閣に対し尾崎行雄・犬養毅らが「憲政擁護・閥族打破」を掲げ第一次護憲運動を起こし、桂内閣を倒しました(大正政変、1913)。政治学者吉野作造は民本主義(主権の所在は問わず、政治の目的を民衆の幸福におく)を唱え、デモクラシーの理論的支柱となります。1924年に第二次護憲運動が起こり、加藤高明内閣(憲政会)が成立。1925年、普通選挙法と治安維持法が同時に成立しました。
📘 普通選挙への道
1890年 直接国税15円以上の男子(人口1.1%)
1900年 10円以上に引下げ
1919年 3円以上に引下げ(原敬内閣)
1925年 普通選挙法=満25歳以上の男子(納税要件撤廃)、全人口の約20%
1945年 満20歳以上の男女(戦後改革)
1890年 直接国税15円以上の男子(人口1.1%)
1900年 10円以上に引下げ
1919年 3円以上に引下げ(原敬内閣)
1925年 普通選挙法=満25歳以上の男子(納税要件撤廃)、全人口の約20%
1945年 満20歳以上の男女(戦後改革)
深掘り (背景・影響)
普通選挙法で有権者が4倍に拡大しましたが、同時に成立した治安維持法は「国体の変革」や私有財産制度の否認を目的とする結社を禁じ、共産主義者・社会主義者を厳しく取り締まる根拠となりました。1928年には最高刑が死刑に強化され、戦時下に弾圧の道具と化します。社会運動も活発で、1922年に全国水平社(被差別部落の解放、創立者西光万吉)、1920年に新婦人協会(平塚らいてう・市川房枝)、日本農民組合(1922)、日本共産党(1922、非合法結成)が誕生しました。
💡 ポイント
- 第一次護憲運動=尾崎行雄・犬養毅(大正政変1913)
- 吉野作造=民本主義
- 普通選挙法=1925年・満25歳以上男子(納税要件なし)
- 治安維持法=1925年同時成立、国体変革禁止
- 全国水平社(1922)=西光万吉、「人の世に熱あれ、人間に光あれ」
- 新婦人協会(1920)=平塚らいてう・市川房枝
注意点 (混同しやすい)
① 民本主義(吉野作造、主権の所在を問わない)と民主主義(国民主権)は厳密には別。戦前は天皇主権なので民本主義と呼んだ。② 1925年普通選挙は男子のみ。女性参政権は1945年まで待つ。③ 普通選挙法と治安維持法は同年(1925年)同時成立。「アメとムチ」の典型例。④ 加藤高明(憲政会、普選成立)と原敬(政友会、初の本格政党内閣)を区別。
練習
- 「民本主義」を唱えた政治学者は誰か。
- 1925年に成立した二つの法律を答えよ。
- 1922年に被差別部落解放のため結成された組織は。