世界恐慌と満州事変
1929年、ニューヨーク株式市場の暴落から世界恐慌が始まりました。経済的苦境は日本の軍部に「満州」への侵略の口実を与えます。
基本知識
1929年10月24日(暗黒の木曜日)、ニューヨーク株式市場(ウォール街)が大暴落。世界恐慌が始まり、米国の失業率は25%に達しました。日本では1930年から昭和恐慌が発生。生糸の輸出激減で農村が困窮し、東北では「娘の身売り」「欠食児童」が社会問題化します。1931年、関東軍(満州駐留の日本陸軍)は柳条湖事件(南満州鉄道の線路爆破を中国側のせいに偽装)を起こし、満州事変を開始。1932年には満州国を建国し、清朝最後の皇帝溥儀を執政(後に皇帝)に据えました。
📘 1930年代前半の年表
1929年 世界恐慌(ウォール街大暴落)
1930年 昭和恐慌、ロンドン海軍軍縮条約
1931年 柳条湖事件→満州事変
1932年 満州国建国、五・一五事件(犬養毅暗殺)
1933年 リットン報告書、国際連盟脱退(松岡洋右)
1936年 二・二六事件、日独防共協定
1929年 世界恐慌(ウォール街大暴落)
1930年 昭和恐慌、ロンドン海軍軍縮条約
1931年 柳条湖事件→満州事変
1932年 満州国建国、五・一五事件(犬養毅暗殺)
1933年 リットン報告書、国際連盟脱退(松岡洋右)
1936年 二・二六事件、日独防共協定
深掘り (背景・影響)
各国は恐慌に対し独自の対策をとりました。米国はローズベルトのニューディール政策(公共事業・TVA・社会保障)、英仏は植民地を囲い込むブロック経済(スターリング・ブロック、フラン・ブロック)を採用。日本・ドイツ・イタリアは植民地が少なく、ファシズムや軍国主義に走り対外侵略で活路を求めました。1932年の五・一五事件では海軍青年将校が犬養毅首相を暗殺(「話せばわかる」「問答無用」)、政党政治が終焉。1936年の二・二六事件では陸軍青年将校が高橋是清蔵相らを殺害し、東京を一時占拠。以後、軍部の発言力が圧倒的に強まります。
💡 ポイント
- 世界恐慌=1929年ニューヨーク株式市場大暴落
- 柳条湖事件(1931)=関東軍の謀略、満州事変の発端
- 五・一五事件(1932)=犬養毅暗殺、政党政治終焉
- 二・二六事件(1936)=陸軍青年将校、皇道派
- 国際連盟脱退(1933)=松岡洋右、リットン報告書に反発
- 米国=ニューディール、英仏=ブロック経済、日独伊=ファシズム/軍国主義
注意点 (混同しやすい)
① 満州事変(1931・柳条湖事件)と日中戦争(1937・盧溝橋事件)は別。前者は満州、後者は華北全域。② 五・一五事件(1932・海軍・犬養暗殺)と二・二六事件(1936・陸軍・高橋是清ら暗殺)を年と襲撃側で区別。③ 満州国の元首は溥儀(ラストエンペラー)。④ ニューディール=フランクリン・ローズベルト(F.ローズベルト)、日露戦争仲介のセオドア・ローズベルト(T.ローズベルト)とは別人。
練習
- 1929年に世界恐慌の発端となった出来事は。
- 1932年に犬養毅首相が暗殺された事件は。
- 日本が国際連盟を脱退したのは何年で、首席全権は誰か。