日中戦争と戦時体制
1937年に始まった日中戦争は、日本を本格的な総力戦体制へと変えていきます。国民生活も全面的に戦争に動員されました。
基本知識
1937年7月7日、北京郊外で盧溝橋事件(日中両軍の衝突)が発生し日中戦争(支那事変)が開始。日本軍は北京・上海を占領し、同年12月には首都南京を陥落させ、多数の中国人を殺害する南京事件(南京大虐殺)を引き起こしました。中国は蒋介石(国民党)と毛沢東(共産党)が第二次国共合作(1937)で抗日民族統一戦線を結成し抵抗。日本は重慶を空襲しても屈服させられず、戦争は泥沼化します。1938年、近衛文麿内閣は国家総動員法を制定し、議会の承認なしに国民・物資を戦争に動員できるようにしました。
📘 戦時体制の整備
1937年 盧溝橋事件、第二次国共合作、南京事件
1938年 国家総動員法、国民精神総動員運動
1939年 第二次世界大戦勃発(独のポーランド侵攻)
1940年 日独伊三国同盟、大政翼賛会(一党独裁的)
1941年 日ソ中立条約、太平洋戦争開戦
1941年 国民学校令(小学校→国民学校)
1937年 盧溝橋事件、第二次国共合作、南京事件
1938年 国家総動員法、国民精神総動員運動
1939年 第二次世界大戦勃発(独のポーランド侵攻)
1940年 日独伊三国同盟、大政翼賛会(一党独裁的)
1941年 日ソ中立条約、太平洋戦争開戦
1941年 国民学校令(小学校→国民学校)
深掘り (背景・影響)
国家総動員法のもと、切符制・配給制が導入され砂糖・米・衣料が統制されます。1940年に既成政党は解散し大政翼賛会(総裁は近衛文麿)に統合、町内会・隣組(5〜10戸)が住民監視の末端組織となりました。労働組合も解散し大日本産業報国会に統合。1941年に小学校が国民学校に改められ、軍国主義教育が徹底されました。同年、松岡洋右外相が日ソ中立条約を結び北方の安全を確保(後にソ連が破る)、南進政策を進めます。米国は対抗してABCD包囲網(米・英・中・蘭)で日本への石油輸出を停止し、日米交渉は決裂に向かいました。
💡 ポイント
- 日中戦争=1937年盧溝橋事件で開戦
- 第二次国共合作=蒋介石+毛沢東の抗日連合
- 国家総動員法=1938年・近衛文麿内閣
- 大政翼賛会=1940年、政党解消、近衛文麿総裁
- 日独伊三国同盟=1940年(ベルリン)
- ABCD包囲網=米英中蘭の対日経済封鎖
注意点 (混同しやすい)
① 満州事変(1931)・日中戦争(1937)・太平洋戦争(1941)は連続するが別事件。② 盧溝橋事件(1937・日中戦争開戦)と柳条湖事件(1931・満州事変開戦)、張作霖爆殺事件(1928)を区別。③ 第二次国共合作(1937抗日)は第一次国共合作(1924反帝・反軍閥)とは目的が違う。④ 大政翼賛会は政党ではなく官製の国民組織。
練習
- 1937年に日中戦争の発端となった事件は。
- 1938年に制定された、議会の承認なしに国民を動員できる法律は。
- 1940年に既成政党を統合して結成された組織の名称は。