第一次世界大戦と総力戦
1914年、欧州で人類史上初の総力戦が始まりました。新兵器・新戦術で前例なき犠牲を生み、世界の秩序を根本から変えます。
基本知識
20世紀初頭、欧州列強は三国同盟(独・墺・伊、1882)と三国協商(英・仏・露、1907)の二大陣営に分かれて対立。バルカン半島は「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれ、汎ゲルマン主義(独墺)と汎スラヴ主義(露・セルビア)が激突していました。1914年6月28日、セルビアの青年プリンチプがオーストリア皇太子フランツ・フェルディナンド夫妻を暗殺(サラエボ事件)。オーストリアのセルビア宣戦を機に同盟関係が連鎖発動し、1914年7-8月に第一次世界大戦が勃発しました。同盟国(独・墺・オスマン・ブルガリア)対連合国(英・仏・露・日・伊1915〜・米1917〜)の戦いで、最終的に30か国以上が参戦します。
1914年6月28日 サラエボ事件
1914年7月28日 オーストリアがセルビアに宣戦
1914年9月 マルヌの戦い→西部戦線塹壕戦
1915年 イタリアが連合国側へ
1916年 ヴェルダンの戦い、ソンムの戦い
1917年4月 アメリカ参戦
1917年11月 ロシア革命→翌年単独講和
1918年11月11日 ドイツ降伏→大戦終結
深掘り (背景・影響)
大戦は総力戦(total war)として戦われ、国家の人的・物的資源すべてが戦争に動員されました。機関銃・毒ガス(初使用は1915年イーペル・ドイツ)・戦車(初は1916年ソンム・英)・飛行機・潜水艦(Uボート)などの新兵器で死傷者が激増、戦死者は約1,000万人、戦傷者2,000万人。西部戦線は塹壕戦で膠着、ヴェルダン(1916)とソンム(1916)では数十万人が死傷しました。女性の社会進出が進み、戦後の女性参政権の根拠となります(英1918・米1920)。1917年4月、ドイツの無制限潜水艦作戦でルシタニア号撃沈などを受けた米がウィルソン大統領のもとで参戦。これが連合国勝利を決定づけました。1918年11月11日午前11時、コンピエーニュの森でドイツが休戦協定に調印しました。
- 三国同盟=独・墺・伊(1882)
- 三国協商=英・仏・露(1907)
- バルカン半島=「ヨーロッパの火薬庫」
- サラエボ事件=1914年6月28日
- 大戦勃発=1914年7-8月
- 新兵器=機関銃・毒ガス・戦車・飛行機・潜水艦
- 米参戦=1917年4月(ウィルソン)
- 大戦終結=1918年11月11日
注意点 (混同しやすい)
① 三国同盟(独墺伊・1882)と三国協商(英仏露・1907)の構成国を区別。イタリアは同盟側だったが1915年に連合側に移行(未回収のイタリア獲得を狙う)。② サラエボ事件(1914)とサライェボ・オリンピック(1984)を区別。③ 同盟国(Central Powers・独墺等)と連合国(Allied Powers・英仏等)は当時の呼称。第二次大戦時の「連合国(United Nations)」とは別の語。④ 無制限潜水艦作戦=交戦・中立国の区別なく沈める作戦、米参戦の引き金。
練習
- 第一次世界大戦の引き金となった1914年6月28日の事件は。
- 「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれた地域名は。
- 1918年に大戦が終結したのは何月何日か。