モンゴル後の中央アジアとイスラームの再興
15世紀以降、ティムール朝が衰退すると、中央アジアではウズベク人(シャイバーニー朝)が台頭し、同地域のイスラーム化が一層進みました。一方でティムール朝の子孫がインドでムガル帝国を開きます。
ティムール朝の衰退とウズベク人の台頭
- 15世紀末:ウズベク族のシャイバーニー・ハンがティムール朝を滅ぼす(1500年頃)
- ブハラ・ハン国・ヒヴァ・ハン国・コーカンド・ハン国:中央アジアに乱立するウズベク系政権
- これらの国々は19世紀にロシア帝国に征服されるまで存続
ムガル帝国の成立
- バーブル(ティムールの子孫)がインドへ進出、1526年にパーニーパットの戦いでデリー・スルタン朝を破りムガル帝国を建国
- 「ムガル」はペルシア語で「モンゴル」を意味する
- 中央アジアの文化(ペルシア語・建築・細密画)をインドへもたらした
中央アジアのイスラーム化の定着
- モンゴル系諸ハン国は15〜16世紀にかけて完全にイスラームに改宗
- スーフィズム(イスラーム神秘主義)が中央アジアで広く普及→ナクシュバンディー教団が有力
- マドラサがイスラーム教育の中心として各地に建設
📘 例題①
バーブルがムガル帝国を建国した1526年の戦いとその相手を答えなさい。
解答:第1次パーニーパットの戦い。バーブルはデリー・スルタン朝(ロディー朝)のイブラーヒーム・ローディーを破ってインドに入り、ムガル帝国を建国した。この戦いでは火砲を有効活用したことが勝因とされる。
バーブルがムガル帝国を建国した1526年の戦いとその相手を答えなさい。
解答:第1次パーニーパットの戦い。バーブルはデリー・スルタン朝(ロディー朝)のイブラーヒーム・ローディーを破ってインドに入り、ムガル帝国を建国した。この戦いでは火砲を有効活用したことが勝因とされる。
💡 ポイント
- シャイバーニー・ハンがティムール朝を滅ぼし(1500年頃)ウズベク人が中央アジアの主役に
- バーブル(ティムールの子孫)→1526年ムガル帝国建国
- 「ムガル」=ペルシア語で「モンゴル」
- スーフィズムが中央アジア・インドへのイスラーム普及を担った
練習問題
- ムガル帝国の建国者と、その血統(どの王朝の子孫か)を答えなさい。
- 「ムガル」という名称の由来を答えなさい。
- スーフィズムとは何か、中央アジアでの役割と合わせて説明しなさい。
解答・解説
- 解答:建国者はバーブル。ティムール朝(チンギス・ハンの子孫とも言われる)の血を引く。
解説:中央アジアで勢力を失い、アフガニスタン経由でインドへ進出した。 - 解答:ペルシア語で「モンゴル」を意味する。ティムールの子孫がモンゴルの後継者を自称したことに由来。
解説:ヒンディー語経由で英語の"mogul(大物)"の語源になったとも言われる。 - 解答:スーフィズムはイスラームの神秘主義的な潮流で、神との直接的な合一体験を重視する。中央アジアでは教団(タリーカ)が各地に修道場(ハーンカー)を設け、遊牧民や農民へのイスラーム普及を担った。
解説:ナクシュバンディー教団は中央アジアで特に有力で、現在も影響力を持つ。