中央アジア / 三大イスラーム帝国 3 / 6

サファヴィー朝(イラン・シーア派)

サファヴィー朝(イラン・シーア派)

16世紀初頭にイランに成立したサファヴィー朝は、シーア派(十二イマーム派)をイランの国教と定め、スンナ派のオスマン帝国と対峙する独自のイスラーム国家を築きました。

サファヴィー朝の成立(1501年)

  • イスマーイール1世がアゼルバイジャン(タブリーズ)を首都に建国
  • シーア派(十二イマーム派)をイランの国教に:スンナ派が多数だったイランを強制的に改宗
  • スンナ派のオスマン帝国と宗教・政治両面で対立→「スンニ・シーア対立」の原型
  • 1514年:チャルドゥランの戦いでオスマン帝国に敗北(火砲の差)

アッバース1世の最盛期(在位1588〜1629)

  • 首都をイスファハーンに移す:「イスファハーンは世界の半分」と称された美しい都市
  • イマーム広場(ナグシェ・ジャハーン広場):モスク・宮殿・バザールが囲む世界的建築群
  • ヨーロッパ諸国(英国)と同盟を結びオスマン帝国に対抗
  • ペルシア絨毯・細密画・陶器などの工芸が繁栄
📘 例題①
サファヴィー朝がシーア派を国教にしたことの歴史的意義を説明しなさい。
解答:①イランにシーア派アイデンティティを定着させ、現在のイランがシーア派国家であることの直接的な原点となった。②スンナ派のオスマン帝国と対立する政治的・宗教的ライバル関係を確立し、中東の「スンニ・シーア対立」構造を形成した。③イランにおける独自の文化(ペルシア語文化+シーア派)の発展を促した。
💡 ポイント
  • 1501年イスマーイール1世がサファヴィー朝建国、シーア派を国教化
  • アッバース1世の首都イスファハーン「世界の半分」
  • オスマン(スンナ派)とサファヴィー(シーア派)の対立が中東の宗派構造の原型
  • 1736年ナーディル・シャーによってサファヴィー朝は滅亡

練習問題

  1. サファヴィー朝の建国者と、その首都(建国時)を答えなさい。
  2. 「イスファハーンは世界の半分」という言葉はどのような意味か説明しなさい。
  3. サファヴィー朝がオスマン帝国と対立した宗教的理由を答えなさい。

解答・解説

  1. 解答:建国者:イスマーイール1世、首都:タブリーズ(後にアッバース1世がイスファハーンに遷都)
    解説:タブリーズは現在のイラン北西部(アゼルバイジャン州)。
  2. 解答:アッバース1世が建設したイスファハーンは美しいモスク・広場・庭園・バザールを持つ壮麗な都市で、「世界の美・豊かさの半分はイスファハーンにある」という意味のペルシア語の格言に由来する。
    解説:ナグシェ・ジャハーン広場(世界遺産)がその中心。
  3. 解答:サファヴィー朝はシーア派(十二イマーム派)を国教とし、スンナ派を奉じるオスマン帝国と宗教上の正統性をめぐって対立した。スンナ派は初代〜第4代カリフの権威を認めるが、シーア派は第4代カリフ・アリーの子孫のみを真の指導者とみなす。
    解説:宗教的対立と領土・政治的対立が複合していた。
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このレッスンのQ&A

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