西洋 / ローマ帝国とキリスト教 3 / 6

ローマの東西分裂と西ローマの滅亡

ローマの東西分裂と西ローマの滅亡

3世紀から帝国は内部分裂と外部からの圧力に悩まされ、395年東西に分裂。476年西ローマ帝国は滅亡しました。

帝国の危機(3世紀)

  • 軍人皇帝時代:50年で約20人の皇帝が交代する内乱
  • ゲルマン諸族の侵入・経済の疲弊・疫病の流行
  • ディオクレティアヌス帝が帝国を四分統治し立て直し
📘 東西分裂と西ローマの滅亡
395年テオドシウス帝の死後、帝国は東(首都コンスタンティノープル)と西(首都ラベンナ)に分裂。
西ローマはゲルマン諸族の侵入が続き弱体化。476年、ゲルマン人傭兵隊長オドアケルが最後の皇帝を廃位し、西ローマ帝国は滅亡。
東ローマ(ビザンツ)帝国は1453年まで継続。
💡 ポイント
  • 395年東西分裂:東(ビザンツ)・西ローマ
  • 476年西ローマ滅亡 = 古代の終わり・中世の始まり
  • 東ローマ(ビザンツ)は1453年まで存続

練習問題

  1. 西ローマ帝国が滅亡した年号を答えよ。
  2. 東ローマ帝国の首都はどこか。
  3. 西ローマ帝国を滅ぼしたゲルマン人傭兵隊長の名前を答えよ。

解答

  1. 476年
  2. コンスタンティノープル(現イスタンブール)
  3. オドアケル
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このレッスンのQ&A

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