律令国家の成立と大宝律令
天武・持統天皇のもとで進められた律令国家の建設は、701年の大宝律令の制定で一つの完成を見ました。律令体制の仕組みと意義を見ていきましょう。
基本知識
大宝律令(たいほうりつりょう)は、701年、文武(もんむ)天皇の時代に刑部親王(おさかべしんのう)・藤原不比等(ふじわらのふひと)らによって編纂された日本初の本格的な律令法典です。
・律: 刑法(犯罪と刑罰の規定)
・令: 行政法(官僚制度、税制、土地制度など)
これにより、日本は唐の律令制度を取り入れた本格的な中央集権国家「律令国家」となりました。
律令国家の主な仕組み:
・二官八省: 神祇官(じんぎかん、祭祀)と太政官(だじょうかん、政治)、太政官の下に8つの省
・地方制度: 国→郡→里、国司・郡司・里長を任命
・戸籍と計帳: 6年ごとに戸籍を作成、班田収授の基礎
・班田収授法: 6歳以上の男女に口分田(くぶんでん)を分け与える
・租・庸・調: 統一的な税制度
・兵役と防人: 成人男子に兵役の義務
租(そ) 収穫の約3%を稲で納める(地方財源)
庸(よう) 都での労役(10日間)または布で代納
調(ちょう) 各地の特産物(絹・麻・塩・海産物など)
雑徭(ぞうよう) 国司の指示による地方労役(年60日以内)
兵役・防人 成人男子に兵役、防人は九州警備(3年間)
口分田(くぶんでん) 6歳以上に支給、男2段・女はその2/3
大宝律令(701年) 刑部親王・藤原不比等が編纂
深掘り (背景・影響)
律令国家の建設は、天武・持統天皇の時代から本格化しました。飛鳥浄御原令(689年)がその基礎となり、藤原京の造営(694年)と並行して制度整備が進められました。そして701年の大宝律令で一応の完成を見たのです。
律令体制の最大の特徴は、公地公民の原則です。土地と人民は天皇のものとされ、6歳以上の男女に口分田が支給されました(班田収授法)。男子は2段(約23アール)、女子はその2/3で、本人が死ぬと国に返納される仕組みでした。
税制は租・庸・調の3本立てで、これに加えて雑徭(地方労役)や兵役の義務がありました。特に防人(さきもり)は東国の農民が北九州の警備に派遣される過酷な任務で、家族との別れを詠んだ「防人歌」が『万葉集』に収められています。
律令制度の運営にあたって、優秀な官僚を育成するため、大学・国学などの教育機関が設けられました。また708年に和同開珎(わどうかいちん・わどうかいほう)が鋳造され、日本初の本格的な貨幣として流通しました。
こうした律令体制は、710年の平城京遷都とともに、いよいよ奈良時代へと引き継がれていきます。律令国家の理念は、唐の律令を模倣したものですが、日本独自の修正も加えられ、その後の日本の国家の基本となりました。
- 701年: 大宝律令制定(刑部親王・藤原不比等)
- 律 = 刑法、令 = 行政法(唐の制度を模倣)
- 二官八省: 神祇官・太政官 + 8省
- 班田収授法: 6歳以上に口分田支給
- 租(収穫3%)・庸(労役)・調(特産物)
- 防人 = 東国農民が九州警備(過酷)
- 708年: 和同開珎(日本初の本格貨幣)
- 710年: 平城京遷都 → 奈良時代へ
注意点 (混同しやすい)
① 大宝律令(701年)と飛鳥浄御原令(689年)の違い。大宝律令は「律と令」両方、浄御原令は「令」のみ。② 「租・庸・調」を必ず暗記。租=稲(地方)、庸=労役(中央)、調=特産物。混同しない。③ 二官八省の「二官」は神祇官と太政官。神祇官が上位なのが特徴(祭政一致の名残)。④ 班田収授法の口分田は、男2段、女は男の2/3。奴婢にも支給。⑤ 大宝律令は文武天皇の時代に制定。藤原不比等は中臣鎌足の子。⑥ 「律令」は「りつりょう」と読む。「りつれい」ではない。
練習
- 701年に制定された日本初の本格的な律令法典の名前を答えよ。
- 律令制の税のうち、租・庸・調それぞれの内容を簡潔に説明せよ。
- 「律」と「令」の違いを答えよ。