東山文化
応仁の乱の真っ最中、8代将軍足利義政は政治を投げ出して京都東山に隠居し、文化人として銀閣を建てます。東山文化は、日本の伝統美の原点と呼ばれます。
基本知識
東山文化の象徴は、1489年に義政が京都東山に建てた銀閣(慈照寺銀閣)です。金閣のような華やかさはなく、枯淡(こたん)・幽玄(ゆうげん)(質素で深い味わい)を尊ぶ精神性を体現しています。1階は書院造、2階は禅宗様で、銀箔は実際には貼られていません。
東山文化の建築様式書院造は、現在の和室の原型です。畳・障子・襖(ふすま)・床の間・違い棚・付書院を備えた様式で、銀閣寺の東求堂同仁斎(とうぐどうどうじんさい)がその代表例です。
絵画では水墨画が大成しました。雪舟(せっしゅう)は明に渡って画法を学び、『秋冬山水図』『四季山水図(山水長巻)』などを描き、日本独自の水墨画を確立しました。
その他、能楽はさらに発展、狂言(能の合間に演じる喜劇)も成立。茶の湯では村田珠光が「侘び茶」の祖となりました。連歌では宗祇(そうぎ)が『新撰菟玖波集(しんせんつくばしゅう)』を編集。御伽草子(おとぎぞうし)(『一寸法師』『浦島太郎』など)も民衆に広まりました。
建築 銀閣(慈照寺) — 義政、1489年、書院造
書院造 東求堂同仁斎 — 和室の原型
水墨画 雪舟 — 『秋冬山水図』『四季山水図』
茶 村田珠光 — 侘び茶の祖
連歌 宗祇 — 『新撰菟玖波集』
庭園 龍安寺石庭 — 枯山水
深掘り (背景・影響)
東山文化の本質は「わび・さび」の美意識です。華麗さよりも、質素な中に深い味わいを見出す精神性は、後の千利休の茶道、松尾芭蕉の俳諧、現代の日本人の美意識にまで影響しています。
枯山水(かれさんすい)の庭園は、水を使わずに石と砂だけで山水を表現する独特の様式。京都の龍安寺石庭、大徳寺大仙院庭園が代表例です。
義政は政治家としては失格でしたが、文化人としては傑出していました。同朋衆(どうぼうしゅう)(将軍に仕えた芸能・芸術の専門家、多くは時宗の僧で「阿弥」号を持つ)を活用し、雪舟、能阿弥、芸阿弥、相阿弥らが活躍しました。
庶民文化として御伽草子が広まったことも重要です。「一寸法師」「浦島太郎」「鉢かづき姫」など、現代まで語り継がれる物語の原型はこの時代に成立しました。
- 東山文化=8代足利義政、応仁の乱前後
- 銀閣=慈照寺、1489年、義政が建立
- 書院造=和室の原型、東求堂同仁斎が代表
- 雪舟=水墨画を大成、『秋冬山水図』
- 村田珠光=侘び茶の祖、後の千利休につながる
- 連歌=宗祇、『新撰菟玖波集』
- 枯山水=水を使わない庭園、龍安寺石庭
- 御伽草子=民衆向け短編物語、一寸法師など
注意点 (混同しやすい)
① 北山文化(義満・金閣)と東山文化(義政・銀閣)を絶対に混同しない。
② 書院造(東山文化)と寝殿造(平安貴族の住居)を区別。書院造=和室の原型、寝殿造=源氏物語の世界。
③ 雪舟(東山文化、水墨画の大成者)と、北山文化の如拙・周文(初期の水墨画)を区別。
④ 村田珠光(侘び茶の祖)→武野紹鴎(じょうおう)→千利休(侘び茶を完成)という流れを覚える。
練習
- 東山文化を代表する建築物の名前と、それを建てた将軍の名前を答えよ。
- 現在の和室の原型となった建築様式の名前を答えよ。
- 明に渡って水墨画を学び、『秋冬山水図』を描いた画僧の名前を答えよ。