南蛮貿易と鉄砲伝来
16世紀半ば、ヨーロッパ人(主にポルトガル・スペイン)が日本にやって来ました。鉄砲とキリスト教がもたらされ、戦国時代の様相を一変させました。
基本知識
世界史的背景として、ヨーロッパは大航海時代(15世紀後半-)に入り、ポルトガルとスペインがアジアに進出していました。1492年コロンブスがアメリカ大陸到達、1498年バスコ=ダ=ガマがインド到達、1543年に日本到達という流れです。
1543年、種子島(鹿児島県)に漂着したポルトガル商人が鉄砲を伝えました。種子島領主種子島時尭(ときたか)が2挺購入し、その後、紀州の根来(ねごろ)・雑賀(さいか)、近江の国友(くにとも)、和泉の堺などで鉄砲生産が始まりました。
鉄砲は瞬く間に普及し、戦術を一変させました。それまで主流だった一騎打ち中心の合戦から、足軽鉄砲隊による集団戦へと変化。1575年の長篠の戦い(織田・徳川連合軍 vs 武田勝頼)で、信長が3,000挺の鉄砲を三段撃ちしたとされ(諸説あり)、武田の騎馬軍団を壊滅させました。
1549年、イエズス会宣教師フランシスコ=ザビエルが鹿児島に上陸し、キリスト教を伝えました。ザビエルは山口・京都・大分などで布教し、九州を中心に信者が広がりました。
南蛮貿易(ポルトガル・スペインとの貿易)では、輸入品が中国の生糸・絹織物・鉄砲・火薬、輸出品が銀(石見銀山)・刀剣・漆器など。長崎・平戸・府内(大分)が拠点となりました。
1543年 鉄砲伝来(種子島、ポルトガル人)
1549年 ザビエル来日、キリスト教伝来(鹿児島)
1551年 ザビエル、日本を去る
1571年 長崎開港
1575年 長篠の戦い(鉄砲の集団戦)
1582年 天正遣欧使節をローマ教皇に派遣
深掘り (背景・影響)
鉄砲は戦国の勝者を決めた要因の一つです。鉄砲を多く揃えられたのは、銀や金で買える経済力のある大名と、生産地を押さえた大名でした。信長は堺・国友・根来を押さえ、また石見銀山や畿内の経済力で鉄砲を大量に調達できたため、強大な軍事力を持てました。
キリスト教は急速に広がり、キリシタン大名も登場しました。大友宗麟(豊後)、有馬晴信(肥前)、大村純忠(肥前、初のキリシタン大名)、高山右近(摂津)などが洗礼を受けました。1582年、九州の3大名(大友・有馬・大村)が4人の少年使節をローマ教皇に派遣しました(天正遣欧使節、伊東マンショら)。
南蛮文化の影響は大きく、パン、カステラ、テンプラ、合羽(カッパ)、タバコ、ボタンなどの言葉が日本語に入りました。また、活版印刷術(キリシタン版)、天文学、地理学、医学、絵画なども伝わりました。
- 1543年=鉄砲伝来、種子島、ポルトガル人
- 鉄砲生産地=堺・国友・根来・雑賀
- 1549年=キリスト教伝来、ザビエル、鹿児島
- 1575年=長篠の戦い、鉄砲の三段撃ち(諸説あり)
- 南蛮貿易=ポルトガル・スペインとの貿易
- 輸入=生糸・絹織物・鉄砲・火薬、輸出=銀・刀剣
- キリシタン大名=大友・有馬・大村・高山右近
- 1582年=天正遣欧使節、ローマ教皇に4少年派遣
注意点 (混同しやすい)
① 鉄砲伝来(1543)とキリスト教伝来(1549)の年号と順序を絶対に確実に。「以後よさん(1543)、以後よく(1549)」。
② 南蛮人=ポルトガル人・スペイン人、紅毛人(こうもうじん)=オランダ人・イギリス人。江戸時代では区別された。
③ イエズス会(ザビエル所属)=対抗宗教改革のカトリック修道会。日本布教の主体。
④ 天正遣欧使節(1582-1590、4少年)と、後の慶長遣欧使節(1613-、伊達政宗が派遣、支倉常長)を混同しない。
練習
- 鉄砲が日本に伝来した年・場所・伝えた国を答えよ。
- 1549年に日本にキリスト教を伝えた宣教師の名前を答えよ。
- 1582年に九州の3キリシタン大名がローマ教皇に派遣した少年使節の名前を答えよ。