日本 / 安土桃山時代 5 / 6

桃山文化

桃山文化

信長・秀吉の時代に花開いた桃山文化は、力強く豪華絢爛、新興大名と豪商の気風を反映した文化です。日本の文化史で最も派手で華やかな時代と言えるでしょう。

基本知識

桃山文化の名は、秀吉の伏見城跡に後に桃の木が植えられたことから「桃山」と呼ばれることに由来します。
建築・城郭:
安土城(信長、1576)— 5層7階の天守、近世城郭の祖
大坂城(秀吉、1583)— 巨大な石垣、難攻不落
聚楽第(じゅらくだい)(秀吉、1587)— 京都の関白邸
伏見城(秀吉、1592)— 「桃山」の名の由来
姫路城(池田輝政、関ヶ原後)— 白鷺城、世界遺産
松本城犬山城彦根城なども現存12天守として有名
障壁画(襖絵・屛風絵):
狩野永徳(かのうえいとく)— 『唐獅子図屛風』『洛中洛外図屛風』、狩野派の大成者
狩野山楽— 永徳の弟子、『松鷹図』
長谷川等伯(はせがわとうはく)— 『松林図屛風』(国宝)、狩野派と並ぶ
海北友松(かいほうゆうしょう)雲谷等顔(うんこくとうがん)なども活躍
茶の湯(侘び茶の完成):
千利休(1522-1591)— 堺出身、武野紹鴎の弟子、信長・秀吉の茶頭。侘び茶を大成。妙喜庵待庵(みょうきあんたいあん)(2畳の茶室、国宝)を設計。1591年、秀吉に切腹を命じられる(諸説あり)。
能楽・歌舞伎・人形浄瑠璃:
出雲の阿国(おくに)— 1603年(慶長8年)に京都で「かぶき踊り」を始める。これが歌舞伎の起源。
・能は秀吉が熱中。秀吉自ら能を演じた記録あり。
南蛮文化:
南蛮屛風(南蛮船の入港を描いた)、キリシタン版(活版印刷)天正遣欧少年使節がもたらしたヨーロッパ印刷技術
音楽(オルガン)、絵画(西洋画の影響)も伝来

📘 桃山文化のキーパーソン
狩野永徳 『唐獅子図屛風』『洛中洛外図屛風』
長谷川等伯 『松林図屛風』(国宝)
千利休 侘び茶完成、妙喜庵待庵
出雲の阿国 かぶき踊り(1603)
姫路城 池田輝政、現存最大の天守(国宝・世界遺産)

深掘り (背景・影響)

桃山文化の特徴は「豪壮華麗(ごうそうかれい)」です。新興大名と豪商の経済力を背景に、金碧障壁画(金箔の地に華やかな絵)、巨大な城郭、壮麗な茶室と、力強さと豪華さが融合しました。
狩野派は信長・秀吉に重用され、安土城・大坂城・聚楽第の障壁画を一手に引き受け、後の江戸幕府でも御用絵師として続きました。狩野永徳は40代後半で過労死したとされ、安土桃山の文化的隆盛が個人にかけた負担を物語ります。
千利休と秀吉の関係は、文化史上の重要な物語です。秀吉は1587年に北野大茶会(京都北野天満宮で1日に貴賤を問わず800人以上を招いた大茶会)を開き、利休が監督。しかし1591年、利休は突然秀吉に切腹を命じられました。原因は諸説(大徳寺山門の木像、薬の売却、政治的対立など)。
南蛮文化は、戦国期のキリスト教伝来からの影響が桃山期に集大成。南蛮屛風には、ポルトガル人の服装、南蛮船、宣教師の姿などが描かれ、当時の国際交流を伝える貴重な史料です。

💡 ポイント
  • 桃山文化=信長・秀吉の時代、豪壮華麗
  • 安土城・大坂城・伏見城・姫路城=巨大城郭
  • 狩野永徳=狩野派の大成者、『唐獅子図屛風』
  • 長谷川等伯=狩野派と並ぶ巨匠、『松林図屛風』
  • 千利休=堺出身、侘び茶完成、待庵
  • 1591年=千利休、秀吉に切腹を命じられる
  • 1603年=出雲の阿国がかぶき踊り、歌舞伎の起源
  • 南蛮文化=南蛮屛風、キリシタン版、活版印刷

注意点 (混同しやすい)

北山文化(室町前期)東山文化(室町後期)桃山文化(安土桃山)元禄文化(江戸前期)の順序と特徴を区別。
狩野永徳(永)狩野山楽(山)を区別。永徳は信長・秀吉の御用絵師、山楽は永徳の弟子。
千利休(堺出身、安土桃山)=侘び茶の完成者。武野紹鴎の弟子。
出雲の阿国(1603年)=女性、京都で「かぶき踊り」を始めた。後に女性歌舞伎は風紀紊乱として禁止され、若衆歌舞伎、野郎歌舞伎(現在の形式)へと変化していく。

練習

  1. 桃山文化を代表する障壁画家で、『唐獅子図屛風』を描いた人物の名前を答えよ。
  2. 侘び茶を完成させ、秀吉の茶頭として活躍した茶人の名前を答えよ。
  3. 1603年に京都で「かぶき踊り」を始め、歌舞伎の起源とされる人物の名前を答えよ。
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このレッスンのQ&A

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