日本 / 明治時代 3 / 6

自由民権運動と大日本帝国憲法

自由民権運動と大日本帝国憲法

武力ではなく言論で政治を変えようとする運動が広がり、ついに憲法と国会が誕生します。立憲国家・日本の幕開けです。

基本知識

1874年板垣退助らが民撰議院設立建白書を提出し、自由民権運動が始まります。1880年には国会期成同盟が結成され、政府は1881年国会開設の勅諭(10年後の開設約束)を出しました。同年、板垣退助自由党、翌82年に大隈重信立憲改進党を結成。伊藤博文はドイツ(プロイセン)憲法を学び、1885年内閣制度を創設して初代総理大臣となりました。1889年2月11日大日本帝国憲法が天皇から国民へ与える形(欽定憲法)で発布されます。

📘 民権運動と憲法の年表
1874年 民撰議院設立建白書(板垣退助)
1877年 西南戦争(西郷隆盛、士族反乱の最後)
1881年 国会開設の勅諭、自由党結成
1882年 立憲改進党結成(大隈重信)
1885年 内閣制度創設、伊藤博文初代首相
1889年 大日本帝国憲法発布(2月11日)
1890年 第1回帝国議会、教育勅語

深掘り (背景・影響)

大日本帝国憲法は天皇主権を原則とし、天皇は陸海軍の統帥権を持ちました。議会は貴族院衆議院の二院制。国民は「臣民」とされ、「法律ノ範囲内」で自由・権利が認められました。1890年の第1回衆議院議員総選挙の有権者は直接国税15円以上を納める満25歳以上の男子で、全人口の約1.1%にすぎませんでした。同年発布の教育勅語は忠君愛国を説き、戦前教育の中心となりました。

💡 ポイント
  • 板垣退助=自由党/民撰議院設立建白書
  • 大隈重信=立憲改進党/早稲田大学
  • 伊藤博文=初代首相/憲法起草/プロイセン式
  • 大日本帝国憲法=欽定憲法・天皇主権
  • 有権者:直接国税15円以上・満25歳以上男子(全人口1.1%)
  • 1877年西南戦争=最後の士族反乱(西郷隆盛)

注意点 (混同しやすい)

大日本帝国憲法(欽定・1889・天皇主権)と日本国憲法(民定・1946・国民主権)の対比は頻出。② 自由党(板垣・フランス流急進)と立憲改進党(大隈・イギリス流穏健)の違い。③ 西南戦争(武力反乱)と自由民権運動(言論運動)は方法が逆。④ 伊藤博文はプロイセン(ドイツ)憲法を参考にしたのであって、フランスやイギリス憲法ではない。

練習

  1. 1874年に民撰議院設立建白書を提出した人物は誰か。
  2. 大日本帝国憲法はどの国の憲法を参考につくられたか。
  3. 第1回衆議院議員総選挙の有権者の納税資格を答えよ。
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このレッスンのQ&A

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