日本 / 大正時代 3 / 6

関東大震災と都市の変容

関東大震災と都市の変容

1923年9月1日、首都圏を未曽有の大災害が襲いました。震災は単なる天災にとどまらず、社会・政治・思想に深い影響を与えました。

基本知識

1923年9月1日午前11時58分、相模湾を震源とするマグニチュード7.9の大地震が発生。関東大震災です。死者・行方不明者は約10万5千人。昼食時で火を使っていた家庭が多く、火災が広がり東京・横浜を焼き尽くしました。混乱の中、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などの流言飛語が広まり、自警団や軍・警察によって多数の朝鮮人・中国人が虐殺されました(朝鮮人虐殺事件)。社会主義者の大杉栄・伊藤野枝らも憲兵に殺害される(甘粕事件)など、震災の混乱は政治的犠牲も生みました。

📘 大正の都市文化
モボ・モガ モダンボーイ・モダンガール(断髪・洋装)
文化住宅 和洋折衷の応接間付き住宅
円本 一冊1円の全集(改造社『現代日本文学全集』1926-)
ラジオ放送 1925年開始(東京放送局)
活動写真 映画館の普及、無声映画→トーキー

深掘り (背景・影響)

震災後の復興で後藤新平(内務大臣)が大規模な帝都復興計画を立案。区画整理・幹線道路・公園・橋梁が整備され、現在の東京の骨格ができました。震災手形が経済に重い負担を残し、1927年金融恐慌(片岡蔵相の失言が引き金、台湾銀行の破綻)につながります。また、震災以前から進んでいた都市化により、サラリーマン(俸給生活者)、職業婦人(バスガール・電話交換手)が登場、銀座にはカフェーが並び、大衆文化が花開きます。文学では芥川龍之介『羅生門』『鼻』、志賀直哉『暗夜行路』、武者小路実篤(白樺派)らが活躍しました。

💡 ポイント
  • 関東大震災1923年9月1日、M7.9、死者約10万5千人
  • 流言飛語による朝鮮人虐殺、大杉栄事件(甘粕事件)
  • 後藤新平=帝都復興院総裁
  • ラジオ放送開始=1925年(普通選挙と同年)
  • 大衆雑誌『キング』(1925、講談社、100万部)
  • 白樺派=武者小路実篤・志賀直哉、人道主義

注意点 (混同しやすい)

関東大震災(1923)と阪神・淡路大震災(1995)、東日本大震災(2011)を年と特徴で区別。② 後藤新平(震災復興・東京市長経験)と後藤象二郎(明治の自由党)は別人。③ 金融恐慌(1927)・昭和恐慌(1930)・世界恐慌(1929)の3つの恐慌を年で整理。④ ラジオ放送開始(1925)とテレビ放送開始(1953)を取り違えない。

練習

  1. 関東大震災が発生した年月日を答えよ。
  2. 震災復興を主導した内務大臣は誰か。
  3. 日本でラジオ放送が始まったのは何年か。
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このレッスンのQ&A

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