高度経済成長と昭和の終わり
戦後10年も経たないうちに、日本は奇跡的な経済成長を遂げ「東洋の奇跡」と呼ばれました。しかし公害・オイルショック・バブルといった難題も生まれます。
基本知識
1951年9月8日、サンフランシスコでサンフランシスコ平和条約(吉田茂首相)を48か国と締結。翌1952年に発効し日本は独立を回復。同日日米安全保障条約も締結され米軍駐留が続きます。1956年に日ソ共同宣言でソ連と国交回復、同年国際連合に加盟。1955年〜1973年が高度経済成長期で、年平均10%以上の経済成長を達成。1964年に東京オリンピック、東海道新幹線開通。1968年にはGNP世界第2位(資本主義国で米国に次ぐ)。1970年大阪万博(EXPO'70)が高度成長の象徴となります。
1950年 朝鮮戦争勃発、警察予備隊(→自衛隊1954)
1951年 サンフランシスコ平和条約、日米安保条約
1956年 日ソ共同宣言、国連加盟
1960年 日米安保条約改定(安保闘争)、所得倍増計画(池田勇人)
1964年 東京オリンピック、東海道新幹線
1972年 沖縄返還、日中共同声明(田中角栄)
1973年 第1次石油危機(高度成長終焉)
1978年 日中平和友好条約
1989年1月7日 昭和天皇崩御、平成改元
深掘り (背景・影響)
三種の神器(白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫、1950年代後半)、3C(カラーテレビ・クーラー・カー、1960年代後半)が家庭に普及。一方で四大公害病が深刻化:水俣病(熊本、有機水銀)、新潟水俣病(阿賀野川、有機水銀)、イタイイタイ病(富山、カドミウム)、四日市ぜんそく(三重、亜硫酸ガス)。1967年公害対策基本法、1971年環境庁(現環境省)発足。1973年の第4次中東戦争を契機とする第1次石油危機(オイルショック)で高度成長は終焉、トイレットペーパー買い占め騒動が起こりました。1985年プラザ合意で円高が進み、1986年からバブル経済が始まります。
- サンフランシスコ平和条約=1951年・吉田茂
- 国連加盟=1956年(日ソ共同宣言と同年)
- 東京五輪・新幹線=1964年
- 四大公害病:水俣・新潟水俣・イタイイタイ・四日市
- 沖縄返還=1972年・佐藤栄作(非核三原則)
- 日中国交正常化=1972年・田中角栄(日中共同声明)
- 第1次石油危機=1973年、高度成長終焉
- 昭和天皇崩御=1989年1月7日、翌日平成改元
注意点 (混同しやすい)
① サンフランシスコ平和条約(1951・対連合国講和)と日米安全保障条約(1951・米軍駐留)は同日締結だが内容は別。② 水俣病(熊本)と新潟水俣病(新潟)は別の事件、両方とも有機水銀。③ 沖縄返還(1972・佐藤栄作)と日中共同声明(1972・田中角栄)は同じ年だが首相と内容が違う。④ 非核三原則(持たず・作らず・持ち込ませず)は佐藤栄作で、ノーベル平和賞受賞。
練習
- 1951年に日本が48か国と結んだ平和条約の名称と、当時の首相名を答えよ。
- 四大公害病をすべて挙げよ。
- 1972年に沖縄返還を実現した内閣総理大臣は誰か。