近現代 / 市民革命と産業革命 3 / 6

フランス革命と人権宣言

フランス革命と人権宣言

1789年、フランスで絶対王政を打倒する大革命が起こりました。「自由・平等・友愛」の理念は世界中に広がり、近代社会の出発点となります。

基本知識

18世紀のフランスは旧制度(アンシャン・レジーム)のもと、第一身分(聖職者)・第二身分(貴族)が特権を持ち、第三身分(平民、人口98%)が重税に苦しんでいました。1789年5月、財政難からルイ16世が175年ぶりに三部会を招集。議決方法をめぐる対立から第三身分が国民議会を結成、球戯場の誓い(テニスコートの誓い)で憲法制定を誓いました。1789年7月14日、民衆がバスティーユ牢獄を襲撃、革命が本格化。1789年8月26日ラ・ファイエット起草の人権宣言(人および市民の権利の宣言)が採択されました。

📘 フランス革命の年表
1789年5月 三部会招集
1789年6月 国民議会成立、球戯場の誓い
1789年7月14日 バスティーユ襲撃
1789年8月26日 人権宣言
1791年 立憲君主制の憲法、立法議会
1792年 第一共和政、国民公会
1793年1月 ルイ16世処刑
1793-94年 恐怖政治(ロベスピエール)
1794年 テルミドール反動(ロベスピエール処刑)
1799年 ナポレオンのクーデタ(ブリュメール18日)

深掘り (背景・影響)

人権宣言は「人は生まれながらにして自由かつ権利において平等である」(第1条)と宣言、自由・所有・安全・抵抗を自然権としました。主権在民言論の自由法の前の平等三権分立を含み、近代人権思想の原典となります。革命は急進化し、1793年1月ルイ16世が、10月にマリ・アントワネットが処刑されました。1793-94年にはロベスピエール(ジャコバン派)による恐怖政治でギロチンによる処刑が続き、約1万6千人が処刑されたとされます。1794年のテルミドール反動でロベスピエール自身が処刑され、混乱の中で1799年ナポレオンがクーデタで権力を握ります。

💡 ポイント
  • 三部会=1789年5月、175年ぶり招集
  • バスティーユ襲撃=1789年7月14日(現フランス革命記念日)
  • 人権宣言=1789年8月26日、ラ・ファイエット起草
  • 「自由・平等・友愛(博愛)」=革命の3理念
  • ルイ16世処刑=1793年1月
  • 恐怖政治=ロベスピエール、ジャコバン派
  • ナポレオン台頭=1799年クーデタ

注意点 (混同しやすい)

三部会(身分制議会)、国民議会(三部会から離脱)、立法議会(1791-92)、国民公会(1792-95)、総裁政府(1795-99)、統領政府(1799-)と議会・政府の変遷を整理。② 独立宣言(米・1776)と人権宣言(仏・1789)は別文書。③ ジャコバン派(急進・ロベスピエール)とジロンド派(穏健共和)の対立。④ ルソー『社会契約論』(1762)の人民主権論が革命に思想的影響。

練習

  1. フランス革命の発端となった1789年7月14日の事件は。
  2. 1789年8月26日に採択された宣言の正式名称は。
  3. 恐怖政治を主導したジャコバン派の指導者は誰か。
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このレッスンのQ&A

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