帝国主義と世界分割
19世紀末、欧米列強は世界中の未支配地を奪い合いました。アフリカ・太平洋・東南アジアが次々と植民地となり、世界はほぼ完全に分割されます。
基本知識
1870年代以降、第2次産業革命(電気・石油・鉄鋼)で工業力が爆発的に高まった欧米列強は、原料供給地・製品市場・資本輸出先・移民先として植民地を必要としました。これを帝国主義と呼びます。アフリカ分割では、1884-85年ベルリン会議(ビスマルク主催)でアフリカ分割の原則(先占権)が決められ、わずか20年でアフリカ大陸はほぼ全土が欧州の植民地となりました。1898年ファショダ事件(英仏のスーダン衝突、仏が譲歩)、1899-1902年南アフリカ戦争(ボーア戦争、英vsオランダ系)などが起きます。20世紀初頭、独立国はエチオピア(1896アドワの戦いでイタリアを撃退)とリベリアのみでした。
英:3C政策(カイロ・ケープタウン・カルカッタ)
独:3B政策(ベルリン・ビザンチウム・バグダード)
仏:アフリカ横断政策(西アフリカ→ジブチ)
米:1898年米西戦争でフィリピン・グアム・プエルトリコ獲得
露:南下政策、シベリア鉄道
蘭:インドネシア(蘭領東インド)
スペイン:1898年米西戦争で大敗、植民地喪失
深掘り (背景・影響)
東南アジアではタイ(シャム)のみが独立を保ち、ラオス・カンボジア・ベトナムは仏領インドシナ(1887)、ミャンマー(ビルマ)はインド帝国に併合、マレー・北ボルネオは英領、フィリピンはスペイン領→米領(1898)に。中国分割では1898年に独が膠州湾、露が旅順・大連、英が威海衛・九龍半島、仏が広州湾を租借。1899年、米国務長官ジョン・ヘイが門戸開放宣言(機会均等・領土保全)を出し、出遅れた米が市場参入を主張。1900年義和団事件(義和団の乱)では「扶清滅洋」を掲げた排外運動を清が支援したため、8か国連合軍(日露英米独仏伊墺)が出兵して鎮圧、1901年北京議定書で清は4億5千万両の賠償と外国軍駐留を認めました。
- 帝国主義の始まり=1870年代、第2次産業革命と結合
- ベルリン会議(アフリカ)=1884-85年、ビスマルク
- 英=3C政策(カイロ・ケープ・カルカッタ)
- 独=3B政策(ベルリン・ビザンチウム・バグダード)
- アフリカ独立国=エチオピア・リベリア
- 東南アジア独立国=タイ(シャム)
- 米西戦争=1898年、フィリピン・グアム・プエルトリコ
- 義和団事件=1900年、扶清滅洋、8か国連合軍
注意点 (混同しやすい)
① 3C政策(英・カイロ・ケープ・カルカッタ)と3B政策(独・ベルリン・ビザンチウム・バグダード)が衝突。② ファショダ事件(1898・スーダン・英仏)と義和団事件(1900・中国・列強)を区別。③ アフリカ独立国はエチオピアとリベリアのみ。④ 米西戦争(1898)でアメリカはキューバ独立支援を口実にフィリピン・プエルトリコ・グアムを獲得。キューバは保護国化。
練習
- イギリスの帝国主義政策を3拠点で示す呼び方は。
- 1900年に「扶清滅洋」を掲げた中国の排外運動は。
- 20世紀初頭にアフリカで独立を保った2か国を挙げよ。