宋の社会と経済
960年に趙匡胤(太祖)が建国した宋(960〜1279年)は、軍事的には北方民族に圧迫されながらも、経済・文化面で世界最先端の繁栄を誇りました。
科挙と士大夫の台頭
宋は軍人よりも文人官僚(士大夫)を重視する「文治主義」を採用しました。科挙は大幅に拡充され、唐代に比べて合格者数が激増し、広く庶民層にも門戸が開かれました。
- 科挙の三段階:郷試(地方)→省試(中央)→殿試(皇帝が親試)
- 士大夫:科挙合格者からなる文人官僚・知識人層。詩文・書画・学問を教養とした
- 武将の権限を文官が統制する体制→軍事的弱体化の一因
📘 宋の商業革命
・農業:占城稲(ベトナム原産の早熟種)の普及で二毛作が可能になり生産力が向上
・都市の発展:開封(北宋の都)・臨安(南宋の都)で人口100万超の巨大商業都市が成立。夜市も登場
・交子(こうし):四川地方で生まれた世界最初の紙幣。のちに政府が発行する会子に発展
・海上貿易:広州・泉州・明州が国際貿易港となり、東南アジア・アラビアとの交易が盛んに
・行・作(ぎょう・さく):同業者組合が形成され、商工業が組織化された
・農業:占城稲(ベトナム原産の早熟種)の普及で二毛作が可能になり生産力が向上
・都市の発展:開封(北宋の都)・臨安(南宋の都)で人口100万超の巨大商業都市が成立。夜市も登場
・交子(こうし):四川地方で生まれた世界最初の紙幣。のちに政府が発行する会子に発展
・海上貿易:広州・泉州・明州が国際貿易港となり、東南アジア・アラビアとの交易が盛んに
・行・作(ぎょう・さく):同業者組合が形成され、商工業が組織化された
北方民族との関係
北宋は北方の遼(契丹族)と澶淵の盟(1004年)を結び、毎年絹・銀を贈ることで平和を保ちました。12世紀に遼が女真族の金に滅ぼされると、金が南下して北宋も滅亡(1127年)。皇族が南に逃れて南宋を建てました(都:臨安)。
練習
- 宋代に生まれた世界最初の紙幣の名称を答えよ。
- 宋が文治主義のもとで重用した、科挙合格の文人官僚・知識人層を何と呼ぶか。
- 北宋が北方民族(遼)との平和を保つために結んだ条約の名称を答えよ。