トルコ系民族のイスラーム化とカラハン朝
10世紀頃から、中央アジアのトルコ系遊牧民は次々とイスラーム教へ改宗し始めました。この「トルコ化とイスラーム化」の融合が、中央アジアの文化的景観を大きく変えました。
イスラームとトルコ人の出会い
- 7世紀後半:アラブ軍が中央アジアへ進出。751年のタラス河畔の戦いでアラブ・アッバース朝軍が唐の軍を破り、中央アジアへのイスラーム浸透が加速
- 多くのトルコ系奴隷兵(グラム・マムルーク)がイスラーム王朝(アッバース朝)に採用され、イスラーム社会に溶け込んだ
- 9〜10世紀:サーマーン朝(イラン系)のもとで多くのトルコ人がイスラームに改宗
カラハン朝(9〜13世紀)
- 東部の天山地帯から中央アジアを支配した最初のトルコ系イスラーム王朝
- 10世紀中頃にトルコ系の指導者がイスラームに改宗し、カラハン朝を確立
- サマルカンド・ブハラを支配し、ペルシア・アラビア文化をトルコ語文化と融合
- トルコ語文学の黎明:カシュガリーの『テュルク語大辞典』(1077年)、ユースフ・ハース・ハージブの『福楽の知識』がトルコ語で書かれた最初期の文学・学術作品
📘 重要事項
751年タラス河畔の戦い:高仙芝(唐の将軍)率いる唐軍対アッバース朝+カルルク連合軍の戦い。唐の敗北により中央アジアへの唐の影響力が後退し、イスラーム圏が拡大。また唐軍の製紙技術者が捕虜になったことで製紙術がイスラーム世界に伝わり、さらに西欧へ普及したとされる(文化史上の重大事件)。
751年タラス河畔の戦い:高仙芝(唐の将軍)率いる唐軍対アッバース朝+カルルク連合軍の戦い。唐の敗北により中央アジアへの唐の影響力が後退し、イスラーム圏が拡大。また唐軍の製紙技術者が捕虜になったことで製紙術がイスラーム世界に伝わり、さらに西欧へ普及したとされる(文化史上の重大事件)。
「トルコ=イスラーム」文化圏の形成
カラハン朝以降、トルコ系イスラーム政権が中央アジア・アナトリアに次々と誕生しました。トルコ語はアラビア語・ペルシア語と並ぶイスラーム世界の主要言語となり、現在のトルコ語・ウズベク語・カザフ語・ウイグル語などすべてのトルコ諸語の文化的基盤が形成されました。
練習
- カラハン朝が「最初のトルコ系イスラーム王朝」とされる理由を答えなさい。
- 751年のタラス河畔の戦いが「文化史上重要」とされる2つの理由を答えなさい。
- カシュガリーの『テュルク語大辞典』はなぜ歴史的に重要か答えなさい。