先日、スタンダードオイルの解体について調べていたら、気づけば数時間が経っていた。1911年5月15日、アメリカ最高裁がジョン・D・ロックフェラーの会社を34社に分割するよう命じた日のことだ。当時の石油精製シェアは91%。それだけの市場を一社が握っていたわけで、その判決がその後の世界にどう影響したのかを改めて考えてみると、なかなか面白い。
ふと思ったのが、「もし独占禁止法がなかったら、今の経済やテクノロジーはどうなっていたんだろう」という問いだ。答えは誰にもわからないけれど、歴史のヒントを辿りながら少し想像してみたい。
ロックフェラーは何をしていたのか
改めてスタンダードオイルが何をしていたか整理してみると、当時の手法は今の目で見てもなかなか大胆だ。競合他社を価格攻勢で疲弊させ、鉄道会社に非公開のリベート(割引)を要求し、精製から輸送、小売まで縦に統合した。石油を買いたければスタンダードオイルを通る以外の選択肢がほぼない状態を作り上げた。
独占が進んだ結果として起きたことのひとつが、価格の高止まりと技術革新の停滞だったとされている。競合がいなければ、より良い製品を作るインセンティブは薄れる。これは今でも語られる「競争がない市場が陥りやすい罠」のひとつだろう。
では解体後はどうだったか。34社に分かれた各社が競い合うことで、採掘・精製・輸送の技術が急速に進歩したという記録が残っている。競争が産業を育てた、という事例として引用されることが多い話だ。もちろん「解体があったから」と単純に言い切れるほど歴史は単純ではないが、少なくとも竸争環境の変化が業界に活気をもたらしたことは確かなようだ。
MicrosoftとIEの話が面白かった
もっと身近な例として、1998年のMicrosoft反トラスト訴訟も興味深い。当時のWindowsはPC市場の90%以上を握っており、Microsoftは自社のInternet ExplorerをWindowsに組み込むことでブラウザ市場も掌握しようとしていた。司法省が「それは独占的な抱き合わせ販売ではないか」として訴訟を起こした件だ。
訴訟の結果、WindowsとOfficeの分割こそ免れたものの、OSとブラウザの強制バンドルには制限がかかった。そしてその後、FirefoxやChromeが登場し、ブラウザ市場に競争が戻ってきた。
この流れで思うのが、「MicrosoftへのブレーキがGoogleの成長を助けたかもしれない」というちょっと逆説的な見方だ。もしIEが完全に独占していたら、Chromeは生まれなかったかもしれないし、Chromeなしでは今のGoogleのウェブサービス群はどうなっていたか。もちろん「たられば」の話だけれど、規制が次の産業の苗床を作るという見方は、なかなか説得力があると感じた。
GAFAに独占禁止法がなかったら、という想像
現代に目を向けると、GAFA(Google、Apple、Meta、Amazon)への規制の議論が続いている。ここで少し想像してみたい。もし独占禁止法が存在しない世界で、これらの企業が動いていたら何が起きていたか。
Googleについて言えば、検索シェアはすでに世界的に非常に高い。仮に規制なしなら、DNS、ブラウザ、OSをさらに垂直統合し、「インターネットに接続すること自体がGoogleを通る」という状態になっていた可能性もゼロではないかもしれない。広告のオークション価格も、競合がなければ需給原理が働きにくくなる。
Amazonはマーケットプレイスで出品者のデータを収集し、自社ブランド商品(Amazon Basics)の開発に活用しているという指摘が以前からある。規制がなければこうした動きがより大規模に行われていた可能性はあるだろう。
Metaは実際に、WhatsAppやInstagramを買収することで競合を吸収してきた。「仮想公共圏」ともいえるSNSの空間を一社が支配し続けた場合、情報の流れにどういう影響があるのか、という問いは今も議論されている。
どのシナリオも「確実にこうなっていた」とは言えない。ただ、独占禁止法という仕組みがなければ、今とは違う形の競争環境(あるいは競争が少ない環境)が生まれていた可能性は、それなりにあるのではないかと思う。
日本の競争環境について考えてみると
日本は独占が起きにくい国、というイメージがあるかもしれないけれど、実態を見ると必ずしもそうではないかもしれない。携帯キャリア市場は長い間ドコモ・au・ソフトバンクの3社が大部分を占め、料金が下がりにくい時期が続いたとされている。楽天が参入して競争が生まれてから、料金プランに変化が起き始めたのは記憶に新しい。
電力市場の自由化も、送配電網を従来の地域電力会社が保持し続ける構造の中で、新規参入者が競争しにくい面があるという指摘がある。2011年以降の再生可能エネルギー普及が期待より遅れた背景のひとつとして、こうした構造的な問題を挙げる研究者もいる。
公正取引委員会も近年はデジタル市場への対応を強化しているが、欧米と比べると人員・権限ともに課題があるという声もある。こうした点を見ると、「規制があれば競争が守られる」という単純な話でもなく、規制の設計や運用が問われているのだと感じる。
データ独占という新しい問い
スタンダードオイルの時代の独占は「石油の供給網を握る」という形だったが、今の時代で似た議論として出てくるのが「データの独占」だ。巨大プラットフォームが持つ膨大なユーザーデータを使って精度の高いサービスを作り、さらにユーザーが集まり、データが増える——というループをどう評価するか、という問いだ。
「無料サービスだから消費者は損害を受けていない」という論法もある一方、「データという対価を払っている」という見方もあり、既存の独占禁止法の枠組みでどこまで捕捉できるかは各国の法制度で現在進行形で議論されている。
1911年の解体判決から100年以上が経って、「独占」の形も随分変わった。当時の教訓が今の問いにどう活きるか、法律家や研究者がどんな答えを出していくのか、引き続き興味を持って見ていきたいと思っている。
「規制は市場の自由を守るためのものか、それとも阻むものか」という問いは、立場によって答えが変わる。どちらが正しいというよりも、その時代の経済の実態に合った仕組みをどう作るか、という問いなのかもしれない。なかなか簡単には結論が出ない話だけれど、だからこそ考え続ける価値があるテーマだと感じている。
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