元朝(フビライ)とユーラシア交易路
フビライ・ハンは大ハンとして元朝を建て、中国全土を支配しました。同時に、モンゴルが支配するユーラシア全域では「パクス・モンゴリカ(モンゴルの平和)」と呼ばれる広域的な交易・交流が展開しました。
フビライの支配
- 1260年:大ハンに即位。1271年に国号を「元」と定め、1279年に南宋を滅ぼして中国全土を統一
- 首都:大都(現在の北京)に設置
- 色目人(イスラーム商人・ペルシア人等)を財政官として重用
- 南宋攻略・日本遠征(1274・1281年、元寇)・東南アジア遠征→いずれも苦戦・失敗
パクス・モンゴリカと交易
- モンゴルによる陸路の安全確保→シルクロード貿易の活性化
- ヤム(駅伝制度):モンゴル帝国全域に設けられた宿駅・交通網
- マルコ・ポーロ(ヴェネツィア商人)が元朝を訪問(1271〜1295)→『東方見聞録』
- イブン=バットゥータ(モロッコ)も元朝を訪問→イスラーム世界との接続
📘 例題①
「パクス・モンゴリカ」とはどのような状態を指すか説明しなさい。
解答:「パクス・モンゴリカ(モンゴルの平和)」とは、13〜14世紀にモンゴル帝国がユーラシア大陸の大部分を支配したことで、従来は危険だった草原・砂漠ルートが安全になり、東西の商人・外交使節・宗教者が比較的自由に往来できた状態を指す。ただし征服の過程では多くの都市が破壊されており、「平和」というのはモンゴル支配確立後の状態を言う。
「パクス・モンゴリカ」とはどのような状態を指すか説明しなさい。
解答:「パクス・モンゴリカ(モンゴルの平和)」とは、13〜14世紀にモンゴル帝国がユーラシア大陸の大部分を支配したことで、従来は危険だった草原・砂漠ルートが安全になり、東西の商人・外交使節・宗教者が比較的自由に往来できた状態を指す。ただし征服の過程では多くの都市が破壊されており、「平和」というのはモンゴル支配確立後の状態を言う。
💡 ポイント
- フビライ:1271年元建国、1279年南宋を滅ぼして中国統一
- 元寇(1274・1281年):日本への遠征は二度とも失敗
- ヤム(駅伝制):帝国全域の情報・人員・物資の高速移動を可能に
- マルコ・ポーロ『東方見聞録』→ヨーロッパのアジア認識に影響
練習問題
- フビライが元を建国した年と、南宋を滅ぼした年をそれぞれ答えなさい。
- 元のヤム制度(駅伝制)の目的と仕組みを説明しなさい。
- マルコ・ポーロが元朝訪問後に書いた書物の名前と、その歴史的影響を答えなさい。
解答・解説
- 解答:建国1271年、南宋滅亡1279年
解説:南宋滅亡でモンゴルが初めて中国全土を支配した。 - 解答:帝国全域に宿駅(ヤム)を一定間隔で設け、馬・食料・宿泊を確保することで公文書・使節・商人が迅速に移動できる交通網。
解説:パクス・モンゴリカの物的基盤。 - 解答:『東方見聞録(世界の記述)』。ヨーロッパ人に中国・インド・東南アジアの豊かさを伝え、後の大航海時代(コロンブスなど)に影響を与えた。
解説:コロンブスは『東方見聞録』を持って出航したとされる。