日本 / 古墳時代 3 / 6

渡来人と大陸文化の伝来

渡来人と大陸文化の伝来

古墳時代、朝鮮半島や中国から多くの人々が日本に渡ってきました。彼らは「渡来人」と呼ばれ、漢字・仏教・須恵器・養蚕など、様々な先進文化をもたらしました。

基本知識

渡来人(とらいじん)とは、4〜7世紀ごろに朝鮮半島・中国から日本に渡ってきた人々のことです。彼らは技術・知識・文化を持っており、ヤマト政権から重用されました。
主な渡来人:
王仁(わに): 百済から来日、『論語』『千字文』を伝える(伝承)
阿知使主(あちのおみ): 漢氏(あやうじ)の祖、機織りなどを伝える
弓月君(ゆづきのきみ): 秦氏(はたうじ)の祖、養蚕・機織りを伝える
渡来人がもたらしたもの:
漢字: 5世紀ごろから日本で使用開始
儒教: 朝鮮半島経由で伝来
仏教: 538年(または552年)、百済の聖明王が欽明天皇に伝える
須恵器(すえき): 高温で焼いた灰色の硬い土器、轆轤(ろくろ)を使用
機織り・養蚕・金属加工などの技術

📘 渡来人と伝来文化の年表
4〜5世紀 漢字の伝来、機織り・土木技術が伝わる
5世紀 須恵器の技術が朝鮮から伝来
5世紀ごろ 王仁が『論語』『千字文』を伝える(伝承)
538年 仏教公伝(百済の聖明王→欽明天皇)
6世紀 暦・医・易・五経博士が来日
7世紀 大量の渡来人が政治・文化に貢献

深掘り (背景・影響)

朝鮮半島は、当時高句麗・百済・新羅の三国時代でした。これらの国は中国(晋・宋・北魏・隋・唐)の高度な文明を受け入れており、日本はそれを朝鮮半島経由で吸収したのです。
特に百済は日本と友好関係にあり、文化伝来の主要なルートでした。仏教公伝も百済からです。一方、高句麗は北方の強国で、しばしば百済・新羅・倭と戦争しました。391年、高句麗の広開土王(こうかいどおう)が倭軍と戦ったことが好太王碑(こうたいおうひ)に記されています。
渡来人は単なる「外国人労働者」ではなく、ヤマト政権の中枢で活躍しました。東漢氏(やまとのあやうじ)は文筆を担当し、秦氏(はたうじ)は財政・建設を担当しました。秦氏は京都の太秦(うずまさ)一帯を本拠地とし、平安京建設にも貢献したとされます。
仏教の伝来は日本文化の大革命でした。538年(一説には552年)、百済の聖明王が欽明天皇に仏像と経典を贈ったのが「仏教公伝」です。これをめぐって、崇仏派の蘇我氏と排仏派の物部氏が対立し、587年に蘇我氏が物部氏を滅ぼしました。これが飛鳥時代の幕開けにつながります。

💡 ポイント
  • 渡来人 = 4〜7世紀、朝鮮・中国から来日した人々
  • 主な氏族: 東漢氏(文筆)・秦氏(財政・建設)
  • 伝来文化: 漢字・儒教・仏教・須恵器・機織り・金属加工
  • 538年: 仏教公伝(百済の聖明王 → 欽明天皇)
  • 朝鮮半島: 高句麗・百済・新羅の三国時代
  • 百済 = 日本と友好的、文化伝来の主ルート
  • 391年: 倭が朝鮮半島で高句麗と戦う(好太王碑)

注意点 (混同しやすい)

① 仏教公伝の年は538年(『上宮聖徳法王帝説』)と552年(『日本書紀』)の2説。教科書では538年が主流。② 朝鮮三国: 高句麗(北)・百済(南西)・新羅(南東)の位置関係を覚える。③ 「渡来人」と「帰化人」は同じ意味だが、現代の教科書では「渡来人」が主流。④ 蘇我氏=崇仏派、物部氏=排仏派。587年に蘇我馬子が物部守屋を滅ぼす(丁未の乱)。⑤ 須恵器は高温焼き・灰色、土師器(はじき)は低温焼き・赤褐色。両者は併用された。

練習

  1. 仏教が日本に公式に伝わった年と、伝えた国・伝えた相手を答えよ。
  2. 渡来人がもたらした文化・技術を3つ挙げよ。
  3. 古墳時代の朝鮮半島の三国の名前を答えよ。
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このレッスンのQ&A

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