日本 / 昭和時代 3 / 6

太平洋戦争と敗戦

太平洋戦争と敗戦

1941年から1945年、日本は米英との全面戦争に突入し、最終的に未曽有の敗戦を迎えました。広島・長崎への原爆投下は人類史の転換点となります。

基本知識

1941年12月8日、日本海軍はハワイの真珠湾(パールハーバー)を奇襲攻撃、同時に陸軍はマレー半島に上陸し太平洋戦争(大東亜戦争)が開戦。緒戦は連勝し、シンガポール・フィリピン・蘭領東インドを占領しましたが、1942年6月ミッドウェー海戦で空母4隻を失い形勢逆転。以後、ガダルカナル島の撤退(1943)、サイパン島陥落(1944)と退却を続けます。1944年からB29爆撃機による日本本土空襲が本格化、1945年3月10日の東京大空襲では一夜で約10万人が犠牲となりました。1945年4月に米軍が沖縄上陸、6月に組織的戦闘終了(沖縄戦の犠牲者は県民の4分の1)。

📘 1945年敗戦への流れ
1945年2月 ヤルタ会談(米英ソ、ソ連対日参戦密約)
1945年3月10日 東京大空襲
1945年4-6月 沖縄戦
1945年7月26日 ポツダム宣言(米英中、後にソ連も)
1945年8月6日 広島に原爆投下
1945年8月8日 ソ連対日宣戦
1945年8月9日 長崎に原爆投下
1945年8月14日 ポツダム宣言受諾
1945年8月15日 玉音放送(昭和天皇)

深掘り (背景・影響)

1945年7月26日、米英中の名でポツダム宣言(日本軍の無条件降伏要求、戦犯処罰、領土縮小)が発表されましたが日本は黙殺。1945年8月6日午前8時15分、米軍は広島に世界初の原子爆弾(ウラン型、リトルボーイ)を投下、約14万人が年内に死亡。8月9日長崎にプルトニウム型(ファットマン)が投下され約7万人が死亡。8月8日にはソ連が日ソ中立条約を破棄して対日宣戦、満州・南樺太・千島列島に侵攻。8月14日にポツダム宣言受諾を決定、8月15日正午昭和天皇のラジオ放送(玉音放送)で終戦が告げられました。戦死者は軍人約230万、民間人約80万、計約310万人に上ります。

💡 ポイント
  • 開戦=1941年12月8日真珠湾攻撃
  • 転換点=1942年6月ミッドウェー海戦
  • 沖縄戦=1945年4-6月、ひめゆり部隊・鉄血勤皇隊
  • 広島=8月6日、長崎=8月9日原爆投下
  • ソ連対日参戦=8月8日(日ソ中立条約破棄)
  • ポツダム宣言受諾=8月14日、玉音放送=8月15日
  • 戦没者軍人約230万+民間約80万=約310万人

注意点 (混同しやすい)

① 真珠湾攻撃は1941年12月8日(日本時間)、米時間では12月7日。② ヤルタ会談(1945年2月・米英ソ)・ポツダム会談(1945年7月・米英ソ)・カイロ会談(1943年11月・米英中)を年と参加国で区別。③ 原爆投下は広島(8/6)→長崎(8/9)の順、間にソ連参戦(8/8)。④ 玉音放送は1945年8月15日正午、降伏文書調印は9月2日(戦艦ミズーリ艦上、重光葵)。

練習

  1. 太平洋戦争の戦局が日本に不利となる転換点となった海戦は。
  2. 1945年8月6日と8月9日に原子爆弾が投下された都市はそれぞれどこか。
  3. 日本がポツダム宣言を受諾し、玉音放送が流れた年月日を答えよ。
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このレッスンのQ&A

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