タイトルを見て、「なんか失礼なことが書いてありそうだな」と思った人は、ちょっとだけ付き合ってほしい。自分も理科が得意だったわけじゃないし、「頭が悪い」とレッテルを貼って終わりにしたい記事じゃない。ただ、「理科が苦手」という現象をちゃんと見ていくと、思考の習慣についてけっこう根深いことが見えてくる気がして、そこを正直に書いてみようと思った。
言い訳を先に言っておくと、これは「学校の理科が苦手かどうか」の話じゃない。もう少し大きな話、「科学的に物事を考える」という習慣の話だ。そこを混同しないようにしながら読んでもらえると、たぶん話が通じやすくなると思う。
「理科」が何を問うているのかを考えたことがあるか
理科の授業で何をやっているかを振り返ってみると、物体の運動を数式で記述する、化学反応の仕組みを理解する、生物の体内でどんなプロセスが起きているかを把握する、といったことをやっている。これをひとことで言い換えると、「なぜそうなるのか」という問いへの答えを、証拠と論理を使って組み立てる練習、だと思う。
理科が問うているのは、記憶力じゃない。「この現象がなぜ起きるか、筋の通った説明をつくれるか」という能力だ。化学式を丸暗記しても試験は乗り切れるかもしれないけど、それはあくまで表面の話で、理科という科目の本質的な要求はそこじゃないと思っている。
科学的思考の核心は「因果を追う」こと
科学的思考というと難しく聞こえるかもしれないけど、要するに「AだからBになる」という因果の連鎖を、ちゃんと証拠に基づいて追いかけられるかどうか、ということだと思っている。「なんとなくそう思う」「前にそう聞いたから」「みんながそう言っているから」は、科学的思考じゃない。
この「因果を追う」という習慣は、別に理科の専門家だけに必要なものじゃない。「なぜこのビジネスは失敗したのか」「なぜあの人は自分に冷たいのか」「なぜダイエットがうまくいかないのか」、日常のあらゆる問題も、因果を正確に追えるかどうかで解決の速さが全然違う。理科が苦手な人は、この「因果を追う」練習を意図的にさぼってきた可能性がある、というのが自分の仮説だ。
言い訳の余地があるとすれば、日本の学校教育の理科は「暗記」で乗り切れるように設計されすぎている面がある。テストで「なぜ光合成が起きるか説明せよ」より「光合成の化学式を書け」の方が多い現場では、「因果を追う」訓練はあまり積めない。そのあたりは制度の問題であって、生徒の問題じゃないとも言える。
「論理を組み立てる」という力の価値
自分がずっと気になっているのは、論理を組み立てる力の差が、社会に出てからかなりはっきり出るということだ。仕事でも、議論でも、文章を書くときでも、「話の筋が通っている人」と「なんとなく感情で動いている人」の差は実感として大きい。
理科という科目は、論理を組み立てる訓練としてかなり優れていると個人的に思っている。仮説を立てて、実験で検証して、結果を解釈して、一般化する、という流れは、科学の問題だけじゃなく人生のあらゆる判断にそのまま使える構造だ。この訓練を意識的に積んできた人とそうでない人では、判断の精度にじわじわ差がついてくる、と感じることがある。
「現象を観察する」スタンスが人生をラクにする
科学的思考のもうひとつの柱として「観察」がある。感情や期待をいったん脇に置いて、目の前で起きていることをそのまま見る、という姿勢だ。
「あの人は絶対自分のことが嫌いだ」と決めつける前に、「実際の行動として何があったか」を観察して整理できるかどうか。「このビジネスは絶対うまくいく」と確信する前に、「根拠となるデータは何か」を検討できるかどうか。こういう観察の習慣は、理科の実験で「結果を先に想定するな、目の前の現象をまず記録しろ」と繰り返し言われることで養われる、と思っている。
理科が苦手というより、観察して整理するという地味な作業を面倒くさがっていると、この訓練は積まれない。「面倒くさがること」と「知的怠惰」は、意外と近いところにある気がしている。
「学校の理科」と「科学的思考」は別物だと認める
ここで正直に言っておきたいことがある。「学校の理科が苦手」と「科学的思考力が低い」は必ずしもイコールじゃない。
現実の学校教育では、理科のテストで高得点を取るために必要なのが丸暗記であることは多い。暗記が得意で因果を追う思考は苦手、という人はいるし、逆に理科の成績は悪くてもプロセスを直感的に理解していた人もいる。「成績」という物差しで測られる理科の能力と、「日常的に因果を追う習慣」としての科学的思考は別のものだ。
「学校の理科が嫌いだった」はセーフだけど、「なぜそうなるのかを考えることが嫌いだった」は少し立ち止まって考えてみた方がいい、というのが自分の言いたいことだ。
「理科捨てた」人への建設的な話
文理選択で「理科は捨てた」という人にとって、これは少し耳が痛い話になったかもしれない。ただ、自分が言いたいのは「だから理系に行けばよかった」じゃなくて、「科学的に考える習慣は文系でも意識的に持てる」ということだ。
具体的に言うと、何か主張をするときに「その根拠は何か」と問い直す癖をつける。感情的に正しいと思うことと、論理的に支持できることを区別する。「みんながそう言っている」を根拠にしない。こういう習慣は、数学ができるかどうかに関係なく、日常の中で訓練できる。
逆に言えば、「理系科目が得意だったからといって科学的に考えられるとは限らない」のも事実で、自分もそこは気をつけている。数式を解けることと、現実の因果を正確に追えることは別の能力だ。
「理科が苦手」というのが知的怠惰の証拠かどうかは、その人が日常でどれだけ「なぜ」を考えているかによる、というのが結局の答えかもしれない。煽るようなタイトルをつけておきながら最後は穏やかな着地になってしまったけど、「なぜそうなるのか」を考え続ける習慣だけは、ずっと持っていたいなと思っている。
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